間隔五センチメートルは近すぎる

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「ねむくなってきた」  ほら、すぐそうやって無防備を見せる残酷さ。  無地の赤を円形に切り取っただけのシンプルなクッションを、ルナはぎゅむっと抱きしめる。小ぶりの顔を埋めて膝を折れば、怖いくらいにコンパクトだ。華奢な体躯の頼りなさを強く覚える。胸中がざわめいた。この憂慮がただの保護意識でないことを、私はもう知っている。  今日、父は家に帰らない。  だからなんだ、という話だ。 「寝るのならソファー空けるわね。それとも部屋のベッド使う?」  狼狽を殺した平静ぶった問いかけを彼女は「いや」と言ってはねのけた。クッションを拘束する片腕を解くと、彼女はその腕を伸ばして力なく私の服の裾を掴む。それ以上の言葉もなければ表情だって見えはしない。ただ引いた。視界に入っていなければそうとはわからない弱々しさで。思いさえすれば容易に振り解ける。しかしそんな選択肢はもとより消されてしまっていた。彼女に捕まったクッションは腕の圧力で潰れている。だが私にかかった拘束はそれよりもずっと頑丈だ。  もう一度。服の裾が揺れた。彼女の顔が上がらないことを入念に確認して、二十センチを徐々に埋める。もどかしいと嘆く距離を、しかし自ら縮めようとしたことはあったろうか。自分が今どんな表情をしているかなど考えたくもなかった。  隣。僅かに体温の感じられるところまで来ると、気配を察したルナが徐に身体を傾けた。まもなく肩に降りてきた温かさ。息を詰める。呼吸を止める。そうしなければ必死に抑制している身勝手な欲が歯止めを失って漏れ出てきてしまう気がした。熱のこもった私の呼気は、きっと彼女を傷付ける。  眠るための安らぎを求めてか、未だに裾はゆるく握られたままだった。本当に猫のようだ。その振る舞いは不安気にも見える。さすがに、彼女の安眠のために手を取って握ってやる勇気はなかった。  隙間は僅か五センチメートル。  叶わぬ恋の切なさに、溜め息すら吐けなかった。
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