半径八十三センチメートルへの侵入

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   棗聡志(なつめ・そうじ)という、三つ上の兄がいる。  実兄だが、姓は違う。同じ家庭で育ってもいない。いや、五歳までは同じ家に帰り同じ食卓を囲んでいた。異性を知らない幼少時代、一緒に入浴だってした。ある日父と母が離婚するまでは確かに家族だった。私が父に、兄は母に引き取られた。普通逆ではないのかとは後に疑問を抱いたものだが、両親の間でどういった話し合いがあったのかは私の知るところではない。当時の私はまだ五歳だ。両親が離婚をしたという認識にさえ一年はかかったという幼さ。そして認識してから今更問い質せるほど無邪気な子供でもなかった。  初めの内こそ少々困惑(或いは大いにだったかもしれないけれど、なにせ記憶が曖昧に過ぎる)を覚えたりもした。しかし、幼い子供は中々柔軟性がある。私はそういうものなのだろうと、自分の家庭環境の変化にすぐに慣れた。その理由の中には兄との接触を両親が許していたという部分もある。許していた、というよりはもっと積極的に誘導していた。兄妹の仲の良さを喜ぶのは当然だろう。両親はそういう態度だった。父と母の離婚は大袈裟な痴話喧嘩なのだ。偶に二人で会っていることを、父は隠そうともしない。私だって祖父母に会いに行く気安さで母と会い、言葉を交わす。「あら聖歌。今から買い物に行くんだけど、一緒に行かない?」母は至ってナチュラルに微笑んで私を迎えてくれる。最近はあまり会っていないけれど、それは成長に伴った変化で不仲なわけではなかった。きっとこの距離感が両親にはちょうどいいのだろうと理解して、それからはもう多くを考えない。子供の頃に染みついたものは常識として根底に根付いている。もう違和感もない。 「綺麗にしてるね」  リビングに入ってきた兄の感想はそれだった。テーブルの上は言うまでもなく、床にまで私の私物が散乱している部屋を見て、だ。とりあえずと壁に立てかけるようにして荷物を置く兄の背に、呆れを含む声をかける。 「部屋、また物置きになってるの?」 「いいんだよ。寝るだけなんだから」  ぞんざいな答え様は反省が皆無であることを表す。整理整頓という今どき幼稚園児に教え説くような問題を、今年二十歳になろうとしている兄は未だに抱えているらしい。相変わらず、と安堵出来る内容ではなかった。
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