『火伏せ』のおまじない

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 ボクがそんな光景を目撃した幼少の頃。  ここは、西の方から来た道が突き当たるT字路。そして、徒歩で五分ほど南にある国鉄駅をかすめ、南北に伸びているこの道は、旧「奥州街道」…もともとの「国道4号線」だ。 (昭和3~40年代。『高度経済成長期』まっただ中の頃。「国道四号線」は、その事故の多さに、各地で「国道死号線」と呼ばれていた)。  だいたい、この道からして曲者(くせもの)だ。  旧「奥州街道」は、このすぐ北で右に()れるのだが…今では、それと気づかないほどマイナーな道になってしまった。  そこを右に行かず、まっすぐ進んだ数キロの区間。事故・火事・強盗・殺人・放火と、いろいろな事があった。 (特に、その先。かつて大昔の頃、処刑場があり、「首塚」があったとされる某小学校付近は、片側二車線・見通しの良い道なのに、やはり事故多発地帯で有名だ)。  我が家から見下ろすT字路の東の先には、変則的な小道が続き、「東北本線」を越えていた。  そこには、駅が近いため、待ち時間が長い事で有名な「開かずの踏切」と、歩行者用横断陸橋…通称「チョンチョン橋」があった。 (今では、線路のコチラとアチラをつなぐ、広い地下道となっており…街の東西を結ぶ主要な幹線道路のひとつとして、交通量も一段と増えた。朝晩の通勤時間帯など、市内でも有数の渋滞区間となる)。  地下道が開通して以来、死亡事故こそ減ったものの、あいかわらず事故が後を絶たない。かつて「お(はら)い」をしてもらった事もあるそうだが、効験(こうげん)の方は…? (ボクが知る限り、地下道になってから、ここでは二件の死亡事故があった。地下道に沿って設けられた、狭くて急な「自転車通行帯」。そこで、自転車のオバサンが転倒した末、亡くなったそうだ。この「自転車通行帯」も、いわくつきだ。地下道の「落成式典」の時、フト誰かが言ったそうだ。「自転車はどこを通るんだ?」と。そこで急造で作られた物らしい。車道の両側に沿って、パイプのガードレールで仕切られた「自転車通行帯」。左折でここに入ると、いきなり現れる。他県ナンバーの大型観光バスが、曲り切れずに立ち往生。「切り返し」をしている姿を目にする事は、多々ある事だ)。
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