『火伏せ』のおまじない

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  ホッと安堵の溜息。そんな夢を、度々見る時期があった。趣味で公募など、物を書き始めた頃だ。 「お金で買えるものは、また買い直せばいい」  でも、たとえば写真だ。カメラやフィルムは、いくらでも買う事ができる。 (骨董的価値があるという物なら、話はまた別だが)。  しかし、思い出深い写真は、一度喪失してしまったら、二度とは戻ってこない。 (ボクの友人は、「一人暮し」を始めた時、母親にこう言われたそうだ。(いわ)く、「泥棒は金目の物しか持っていかないが、火事は全部もっていく。火にだけは用心しろ」と)。  書いた物も同様だ。失ってしまった物を再生するには、非常な困難が伴う。 (一定の書式に(のっと)った、記事や報告書の(たぐ)いならいざ知らず…その時、心の中から湧き出たものは『一期一会』。その時限りのもの。後で再現するとなると、たとえ原稿用紙一枚にしたって、一語一句まで正確に復元するのは不可能に近い)。  そういった「(個人的)知的所有物」がたまるにつれ、心の中に、大きな不安が芽生えていった。あの頃は、本気で耐火金庫を買おうかと考えていたものだ。  きっと、『予知』や『予知夢』といったものは、「想像力豊か」で「心配症」な人なら、当たる確率は高いだろう。 (あくまで、確率の問題なのかもしれない。事故に遭う夢や、誰かが亡くなる夢を見ても、ハズレた回数の方が、はるかに多いのだから…)。  また、実生活や仕事の場においても、「リスク・マネージメント」や「危険予知(KY)」などといった言葉があるように、あらかじめ悪い事態を想定して、事前に対処する心構えが大切だ。  もっとも、平穏無事な暮らしを送っていると、なかなか実感が湧かないのも確かだ。だが、しかし…  草木が花を開き、新年度がスタートする四月の初旬。  ボクは夜中に目を()ました。したたかに酔っている。週末の昨晩は、歓・送迎会があったのだ。  ボクの住居は、建坪30坪ほどの二階建ての家。  かつては、祖父母・親兄弟と住んでいた家だ。祖父母は、もうずいぶん前に他界し、親兄弟も、現在は別の場所に住んでいる。  ボクの年齢とほぼ同じ築年数だから、けっこう古い建物だ。数年前、外壁だけサイディングし直し、昨年、同じ敷地内にあった古い木造倉庫を取り壊し… (と言っても、商売を営んでいた祖父が、廃材利用で造り上げた「掘っ立て小屋」みたいな代物だったけど)。  現在そこは、更地(さらち)になっている。
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