《壱話》

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遠藤は走っていた。 大樹が屹立する森の中を一人。 息を乱して、汗をかきながら。 速度は決して速いものではない。もともと運動は得意ではない上に足場が悪く右腕も骨折していて振る事が出来ない。様々の要因が起因していた。 それでも遠藤は止まらずに走る。 勿論、恐怖が消えた訳でも性格が改善された訳ではない。 だけど、遠藤は言わずにはいられなかった。謝らなければならない。しどろもどろでも良いから伝えなければ。ただその一心で遠藤は走っていた。 どんな事実も口に出せば、聴いた者には邪推が生まれる。 爺さんが語った彼の過去の一端を聴いた遠藤は想うのだ。 あの時、浮かべた自嘲の笑みには諦めのような物が混じっていたような気がする、と。 と、言ってもこれは単なる邪推であり事実ではない。どこまで言っても気がするで終わるってしまうのだ。 ただ、遠藤は此処で逃げる訳にはいかないと想ったのだ。そしたら後は何となく立ち上がって走りだしていた訳で。 絡まった尾根に足を引っ掻けて転ぶ。擦りむいた場所どころか全身に激痛が走る。 苦悶の表情を浮かべながらも奥歯を噛み締めて声をださないように我慢する。 何とか立ち上がる。 右足を捻ったため足を引きずる。それでも遠藤は前に進む事を止めることはなかった。 この時はまだ非現実的なことに疑問に思う余裕など遠藤にはなかった--。
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