不幸ってツラい

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16年前、私は一番近くにある病院で産まれた。 母親は、可愛い子に育ってほしい、という願いを込めて、愛里という可愛い名前を付けてくれた。 元気に育って小学4年生。 友達は居なかったものの、大人達から「人形のような瞳が可愛い」と言われた事が幸福だった。 その年の10月、暖炉の火が布を燃やし、乾燥した私の家をまるまる焼いてしまった。 その火事で母親は焼死。 大好きな母の死、驚きのあまり、声を失った。 「いつかは治る。」コレが医者の言葉。 しかし未だに治らない。 小学6年生、酒に酔った父が私を乗せて交通事故。 父は死亡。 事故によって、頭に大きな衝撃を受けたらしく、足と手が麻痺。 「いつか私が治す」医者はそう言ってくれたが、やはり未だ治らず。 中学1年生では、医者の薬の処置のミスが体を蝕んでゆき、目を失う。 音をキャッチする耳と、首とアゴの筋肉だけが生きていても、もう幸福は来てくれなかった。 そのまま今まで生きてきた。 ほら、不幸でしょ? 幸福が欲しいな。 唯一の幸福だった、私の綺麗な瞳は、光を失ったただのボール。 大好きな両親も失った。 何かを掴む事や、自由に歩く事も出来ない。 愛されないし。 愛したくない。 でも、最近は幸せな事が見つかった。 私の一番楽しい遊び「記憶巡り」だ。 子供の頃に読んだ絵本、好きだった人形を思い出して、新しくストーリーを膨らますのだ。 最近それを夢に見るようにもなって、楽しみは幸福になった。 といっても、こんな事が幸福だなんて、不幸ではないだろうか? そう思った日の夜。 奇跡が起こった。
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