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三波屋で変死した美女は外務大臣の情婦である――という情報はまったくのガセネタだった。
腹を立てた先輩の梶原は「なんでもいいから適当に記事にしとけ」という無茶振りを残して、さっさと帰ってしまった。
今、律は先輩が書きなぐった帳面を眺め、煙のないところから煙を出すにはどうしたらいいか、知恵を絞りだすのに必死である。
(やりきれないな)
三波屋はついこの間、洋旅籠ふうに建て増しをしたばかりだ。番台の周りは小洒落た籐の椅子とテェブルが置かれ、泊り客が外から来た客と待ち合わせたり茶をたしなんだりできるテラスになっている。
欧米風の暗い色使いの家具や複雑な模様の壁紙は春の光を遮断し、代わりにどことなく後ろ暗い淫靡な光を満たしていた。
(気の毒な女中が、アメリカ男に手籠めにされて、首をくくった。ただそれだけの話だ)
くだんの外国人に悪意はなかったろう。ハタゴ・ガールが春を売るのは当たり前のことだ。
やっこさんは御給仕にやってきた可愛い娘を、ただ美味しく頂いた。娘は嫌がって抵抗しただろうが、彼は日本女性の奥ゆかしさに逆に燃え上がったかもしれない。
(女中は世を儚んでその夜のうちに首を吊り、スメス某は翌朝逃げるように帰国、罪に問われることは無し、か)
娘が本当に外交官の情婦だったら間違いなく記事になる。そこまでいかなくとも、せめて上流階級の娘であればもう少し書きようがある。だが、旅籠の娘ではだめだ。
当たり前すぎるのだ。
このご時世、こんな話は掃いて捨てるほどある。
(そもそも、こういうことが当たり前な世の中っていうのが、どうなんだ)
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