忘れられなくて

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    「お疲れ様でした」 汗ばんだ顔をウイルソンのタオルで拭いながら、私にちょこんと頭を下げて挨拶をしてくるこの光景は、海斗が入部した頃から変わらない。 ただ変わったのは、頭を上げた時、 私と目が合ったほんの一瞬、 はにかんだ笑顔を見せる事。 「お疲れ」 私はただ、そうクールに微笑み返すのが精一杯。 『海斗、一緒に帰ろ』 いつも喉まで出かかるその言葉を飲み込んでしまう。 あれから三ヶ月たった今でも、 私は海斗を『速瀬くん』としか呼べず、 海斗もまた私の事を『柳川先輩』と呼ぶ。 そんな二人が実は付き合っているなんて、誰も考えないだろう。 実際、部内でさえ噂にもならなかった。 私のどこかで、【彼より年上】という、今思えば馬鹿らしいくらいどうでもいいコンプレックスが、二人の間の溝を深くしていたのかもしれない。 海斗を遠ざけるオーラを出していたのかもしれない。 海斗との溝が埋まらないまま過ぎて行く時間が、私を次第に焦らせた。 だって気付いてしまったから。 あの子を見つめるあなたの視線に…… その回数が日々増えて行く事に…… ------ 名倉花乃。 私より二つ年下のテニス部の後輩。 まだあどけなさの残る可愛い笑い顔。 元気にはしゃぐ無邪気さの中に、支えてあげなければ壊れてしまいそうな純粋さを秘めている。 あなたが、『守ってあげたい子』って、 その子を認識するのに時間はかからなかったよね? 私は気付かないフリを続けたけど、 結構それもきつかった。 でも、気付いてしまった事があなたに分かったら、それは【別れ】を意味するから。 だから今は言えないの。 だから今は言わないの。 お気に入りだったはずのウイルソンのタオルを、アディダスに変えた理由もね。 『私だけを見ていて』 『私を離さないで』 『あなたのそばにいさせて』 『あなたを失う事が怖いの』 何故、言えなかったのかな? 何故、言わなかったのかな? 毎晩布団の中では泣きながら言い続けたセリフ。 何故、あなたの前じゃ言えなかったのかなぁ?
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