第一部 第一章 入隊ひと騒動

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第一部 第一章 入隊ひと騒動

 フランス外人部隊。  何故だったか一切の記憶がない。それを狙っての、軍曹のオゴリだったのだろう、あいつに一杯喰わされた!  去る二十四時間前、つまりは昨夜だが、街角のバーでしけた酒を飲んでいたところに、ガタイの良い男がビール片手に近づいてきた。  徴募担当軍曹であったのは、今になってから気付いたが、時すでに遅し、入隊申請書にサインしてしまった後だった。  奴は祝いだとか何だか言って、ビールを勧めてきた。これを断るような男は、バーで酒なんて飲んじゃいない。甥っ子が生まれただの何だのと、語る内容は事実だったんだろうが、狙いは全くの別にあった。陽動作戦にがっちり嵌められたわけだ。  結構なペースで杯を重ねるうちに、意識が遠くなってきた。飲み潰れるのはそんなに珍しくもないが、目が覚めたら簡易ベッドに横たわり、暫し考えても場所がわからないのは、初めてだった。  身の回りの品を確かめるが、全て無くなっていた。身一つとの表現が似合う。  古い質素な部屋だが、清潔にしてあるのがわかる。病院や監獄ではないように思えた。  足音が聞こえ、芯がある男の声で「起きたか?」と聞こえてきた。扉が開くと、何だか見覚えがある者が現れる。  こちらが問うまでもなく、勝手に説明を始めてきた。 「見てわかるように、自分はレジオンの軍曹だ。これからよろしく頼むぞシーマ二等兵」  どこから突っ込みを入れたらよいか、正直困惑した。島龍之介二十一歳。大学の三年生で、只今夏休みを利用したフランス旅行中。名乗った覚えも無ければ、二等兵と呼ばれた意味もわからない。  奴はこ、ちらが何か反論しようとしたのを制して続ける。 「レジオンは、契約に基づき貴官を二等兵とし、月千二百フランでの三年雇用を、正式に発効するものとする」 「そんな契約した覚えはない、帰してもらう!」  その時、軍曹が持っていた書類を、一枚手渡してくる。そこにはミミズがはったのより、ややマシと言える程度で、サインと拇印が捺されていた。契約書らしきもので、内容が恐らくはフランス語で書かれている。  怪訝な顔をしていたら軍曹は、相変わらずの日本語で追い討ちをかけてくる。 「もう諦めろ、三年なんて直ぐだ。契約は無効に出来んぞ」  騙されたことにより、頭に血が上った。拳を握り締め殴りかかるも、軍曹がニコニコしたまま軽く動くと、自身の体が宙を舞った。少し肺から空気が漏れたが、痛みはさほどでもない。手加減しての投げ技だ。  陸上部で活躍中の島ではあったが、体力と格闘技術は別物であり、天井を見上げることにより頭が冷えた。 「どうしても?」 「ウィ、シーマ」  鼻歌でも歌い始めそうなくらい、ご機嫌な返事をしてくる。そう言えば前に聞いたことがあった。ノルマ達成出来なかった徴募担当軍曹が、街角で若者を浚ってきて、無理やり入隊させる軍隊があると。 「レジオンってフランス軍?」 「ウィ、フランス軍外人部隊だ。素敵な未来に祝福を」  無理やり立たせて握手をする。ただ酒の代償がこれほど高くついたのは、後にも先にも初めてだった。  さて困ったのはそれからだ。何せフランス語なんて、満足に喋ることなんて出来ない。英語もあまり上手なわけでもないが。  それに対する、軍曹の答えは至極簡単だった。覚えたらいい。  ――ファッキン軍曹め!  後からわかった時には遅かったが、入隊条件には少なくとも母国語の他に、一つ外国語を喋るとの項目があったらしい。もちろんそんな条件は、ノルマ達成を出来ていない軍曹からしたら、どうとでもなる項目でしかない。  酩酊状態で入隊サインをしたときに、全ての所持品を没収されてしまい、翌日には軍服を支給され、ついに下着の果てまで、自身の所有物は取り上げられてしまった。  これらは、除隊するときに返還されるらしいが、旅券も没収されたために、脱走すらままならない。ここが軍隊なのを思い知らされる。  外部との連絡も禁止されているため、きっと大学も退学させられてしまうだろうと打ち明けると、軍曹が部隊から休学申請を通しておくから心配するな、と言っていたがそんな問題ではない。  右をみても左を見ても外人ばかりで、当然のように日本人は一人もいない。似たような容貌なのは、中国人やアジア出身者が幾人かいる程度である。そうは言っても、東洋人以外から見たら、違いなんてわかりゃしない。こちらが黒人の見分けつかいのと、なんら違いない感覚だろう。  ここにきて微かな希望である、不適格者による除隊に祈ったが、五体満足瑕疵無しで、太鼓判を押されてしまった。  ――両親よ、頑丈するぎる体が、遠い異国で息子に不幸をもたらしました。  短距離走、持久走、過重持久走、腹筋背筋云々においては、新たに徴募された中でトップを叩き出してしまった。もう兵士への道まっしぐら。  悪いことにはこれから事欠かなそうだが、意外にも少し嬉しいことがあった。それは、サークルや部活の仲間たちとは違った、真に人生の友人へ向けた、挨拶や握手だった。言葉は通じないし、名前も知らない奴らだけど、昔からの付き合いがあったかのように、接してくれたのだ。どう表したらよいかわからないが、従兄弟連中がこんな感覚だったかもしれない。いくつか年月を経たら、これが家族になるのだろうと理解するのは、そう難しくはなかった。  二等兵でも未訓練の札をつけているため、誰がみてもすぐに新入りだとわかる。中には、軍曹との経緯を知っており、親しげに肩を叩いてくる兵もいて、しきりに何かを伝えようとしてきた。「ブラザー」との単語が拾えた。どうやら同じ手口の、被害者先輩らしい。大きく頷くと握手を交わし「ファッキンサージ!」と抱き合った。  その夜、先輩の一等兵に連れられ酒保に行くと、その仲間らしき男達が、テーブル一つを占領して手招きしていた。被害者友の会。入隊初日から、浴びるように酒を飲まされて、全く懲りていない島であった。  軍隊の朝はそんなに早いものではない。始発に乗り通勤する、東京のサラリーマンは偉い。朝六時に起床、寝床をきっちり整えてから部屋を出なければ、先輩が伍長に絞られ、それが三倍になり自身に返ってくる。不条理だ。  見様見真似で行うが、何となく不細工なのは仕方ない。どうやったら布に角が出来るんだ? ドイツ人らしき一等兵の寝床には、きっちりと四角く畳まれた、きり餅のような布団が鎮座している。  食堂では、自由に好きなだけ朝食をとることができ、ワインも一杯だけならば手にできる。さすがおフランス。しかし周りを見ても、ビスケットやサンドイッチを、軽く食べている者ばかりである。みんな少食なのだろう。パンやシリアル、ソーセージを皿にとり、満足に食事を済ませる。  きっかり一時間後に、すぐさま超後悔することになる。朝食後にまず、訓練前の長距離走が、日課として組まれているそうな。程なくリバースしているところを軍曹に捕まり、明日からは朝食を加減するんだ、と注意を受けた。  ――わかってるなら事前に注意してくれ。  仲間たちが皆素知らぬ顔で走り抜ける中、ひとり悪臭と戦う朝であった。  ずっと体力勝負かと思いきや、フランス語の授業が始まった。やはり、言葉が通じないのは問題あり、と判断したのだろう。参加するかどうかは選択なのだが、結構な人数がきているように思える。  多分、子供が使うような、教科書らしき冊子とペンを支給され、講師である軍曹が対面に立ち、授業を始める。フランス語で終始喋りっぱなし、そしてそのまま終了。習うより馴れろ?  釈然としない時間を過ごすと、続けて兵器などの授業があり、やはりフランス語で行われた。さっぱり言っている意味が分からないため、出てきた部品を一心不乱にバラして、組み立てるのを繰り返す。実物提示教育の効果は素晴らしく、何かの塊の構造がわかり、すぐに組み立てることが出来るようになった。  日本人は、手先が器用との評価は本当らしい。ガサツなヤンキーは、上手く組み立てられずに四苦八苦している。軍曹が頷きながら、作業の出来映えを指摘してくれているようだが、何度も言うようにフランス語がわからない。ついに単語を一つ覚えた、それは「コンプラン パ」訳すると、わかりません、だった。  あれやこれやでぐったりの一日だったが、新しいことばかりというのも悪くない。  就寝時間は決まっているが、基本的には自己管理のため朝にしっかりしていたらよい、らしい。  かといって外部へと行けるわけでもなく、酒保で飲んだくれるか学習室で勉強するか、さもなくば筋トレでもしているくらいしかない。  迷わずまた酒を選んだわけだが、この酒保というのは兵士達がお金を出し合って維持管理している形のため、将校は下士官や兵に招かれない限りは立ち入り禁止の場所である。逆に将校クラブのそれも同じように扱われる。  軍からも当然予算が割り当てられているため、格安で酒が飲めるわけである。  いざ戦になれば死んでこいと命令するわけなので、飲み食い位はさせてやろうとの計らいでもある。  単調な基地生活が暫し続き、生活に困らないように、片言の単語を百ばかり覚えると、未訓練札が外され、ついに正式に訓練部隊へと配属された。これからは今までと違い、二十四時間兵として扱われ、いつ実戦になるかもわからない、と少し仰々しく宣言された。大きく違うところは、訓練時間が半分になり、サービス当番が割り当てられる部分である。  サービス当番とは、料理洗濯警邏門番云々の雑用が主で、まさに下っ端フル回転の様子を想像してもらいたい。夜間の警備にあたれば、仮眠を挟んでの日勤と、非常につらい寝不足に苛まれる。つまりは、新人に出番が余計に回ってくるのは、明らかというわけである。この手のしわ寄せは、世代順送りで伝統されるもので、今更驚くことはなかった。そう信じていた自分が甘かったのは、例によりすぐに思い知らされるのであった。  第6中隊、つまりは新兵を集めた、訓練中隊である。この中隊には、四つの小隊が置かれ、それぞれが更に五から六のグループに分かれている。中隊長は最初の顔合わせに見たきりで、他の将校も滅多に見かけない。訓練の統括は、中隊の先任曹長である。恐らくは俺が生まれた頃には、すでに軍隊にいたであろう経歴で、軍に関して知らないことはないくらいの、経験を積んできている猛者である。  小隊の統括は、例のファッキンサージ、つまり徴募担当の軍曹であり、グループのそれは、伍長や伍長勤務上等兵らであった。この上役勤務について、建て前は昇格への適性確認との話だが、給料据え置きで補欠を埋める手段が主であるらしい。仮であっても昇進が嬉しくないわけがなく、一切の不満を聞いたことがない。  本格的な訓練の初日である。まず最初に懸垂を幾度か行った後に、即座に腕立て伏せを命令される。少し休ませてからでないと、握力も戻らず精彩さを欠くのは当たり前だが、軍曹殿は仰有った「腕立て伏せも出来ないクズは、すぐに死んじまうぞ!」死にたくないから頑張る。ただ一つだけ望みを聞いてもらえるならば、先に軍曹殿がくたばって欲しい。  何やら背嚢を背負わされる、本来は装備品が詰められるものらしいが、今日は同じ重さの砂利が入れてあるそうな。訓練科目は短距離走。背嚢は三十キロ位はあるだろうか、流石に専門だけあり、俺は八回の短距離走全てで上位をキープした、どうだ恐れ入ったか。だがファッキンサージの態度は冷たかった「すぐにランニングするぞ、立て、そして走れ!」何故短距離走に続き、休まずに長距離走を選択したか、激しく抗議をしようとして諦めた。無駄に疲れたくないし、十分か二十分で終わるのだから走ろうと。  伍長の後ろを延々と走る、走る、走る。背嚢に小銃代わりの棒を持たされ、ただ走る。いかほど走るか聞いてみると、二十キロ走との、ありがたい回答が得られた。思った以上に負担が大きい、途中で水を飲むのは許された、実際飲まなければ体が持たないからだろう。  汗だくになりながらも、伍長らはペースを守り走る。何とかついていくのがやっとな自分だが、文字道理に落伍者がグループから現れる。するとどうだろうか、ジープから軍曹が飛んできて、グループを止めて全員で助け合えと指示した。  お陰で棒を二本持って、這々の体で基地に帰ると、時間をオーバーしていて昼食時間が削られた。しかしそれは全く問題にならなかった。どうせ水以外は、何も喉を通らない状態であったからだ。  午後からの訓練は、やや興奮を覚えた。黒い塊が銃器であるのは、平和な日本人でもすぐに理解出来た。隣にいる二等兵の顔がにやけていた、わからなくもない、俺も興味津々だ。  実弾発射訓練のため、軍曹が丁寧に説明をする。いいから早く撃たせろ。一から教えるのが何回目であろうとも手を抜かない、そこはプロ根性だと評価しよう。  グループの伍長らが整列し、小銃を構える。その銃の名前が何かはわからないが、腕の長さ位の代物である。号令で立ったまま十発程射撃し、次に片膝をついて射撃、最後に伏せて射撃して締めくくる。「おーっ」そんなどよめきがあり、標的を回収に走る。マガジン一つを撃ちこみ、命中率は六割程度の腕前が平均だった。  その成績がどのあたりのものかわからずに、グループ毎に別れてまず射撃をさせられた。カチッカチッと聞こえて、弾が出ない。安全装置を切っていないという話である。肩付けして射撃すると、一発目で体勢が揺れて、あらぬ方向に着弾した。  体を堅くして再度射撃、的には当たらず、後ろの土壁から煙があがる。各々全てを撃ち終わり、標的を回収すると、所々に穴があいていた。命中率は一割も無かろう。 それでも気落ちすることは何らなく、初めての射撃で興奮したまま夕刻を迎えた。    歩兵にとって、小銃の分解清掃は必須の行為である。これが出来ない兵など、探しても見つからない。そこで最初に、伍長が手本を見せてくれる。バラバラになっている状態から、二分足らずで組み立てることができた。  早速一人一人に部品を渡され、ゆっくりと一度組み立てをする。渡された説明書には、イラストで分かり易く描かれており、何とか完成した。次はそれを分解してみるよう言われ、何も見ないで組み立てろと命令される。学校の授業がこんなだったら、PTAが黙っちゃいまい。  何度か手順を間違ったり、謎の部品が余ったりしながらも、必死に作業を繰り返す。面白いことに、ここではヤンキーがすんなりだ、銃社会に育った子なのね。  規定時間までこれを続け、終了が言い渡される。全ての部品を確認して、伍長から軍曹へと返還された。官給品は常に厳しく管理される。帳簿と実物が、一つでもあわなければ、徹底して捜索が行われる程である。ましてや武器の類ならば、上官に責任が及ぶため、武器担当士官が厳重に直接管理を行う。紛失した武器で、テロでも起きようものならば、国が責めにあうことすらあるからである。  ディナーは豪華だった。これは本国基地にいるから、との特別な事情が大きい。砂漠の基地ならば当然、補給次第で辛い兵営生活が待っているだろう。そして外人部隊は、各地に基地を持っていて、順次流動させているそうな。  軍曹が、何故かそんな説明をチラッとして去っていく、まさか?  夜はまた酒を浴びて、朝には健康的なランニングを行い、基地の清掃を行うと、巨大なヘリがやってきた。伍長から召集が掛かり、広場に整列する。  久しぶりに、小隊長が姿を表す。開口一番仰有った言葉に、精気を失いかけた。訓練中の第6中隊は、四カ所に分かれて活動を行うそうな。アルジェリア、モロッコ、ジブチ、コルシカへと移動するらしい。皆が一様にコルシカ、コルシカと祈る中、小隊長は冷然と「ジブチ」と宣言した。  オワッタ。少尉が去ると、軍曹が胸を張ってヘリに搭乗するように命令する。足取りが重いのをみて「マルシェ!」と追撃してくる。一秒でも長く、フランスに留まろうとの想いを打ち砕き、ヘリは爆音を響かせて離陸するのであった。  ――俺の人生は、一体どうなるんだろうか。
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