第二章 砂漠の駐屯地

1/1
9445人が本棚に入れています
本棚に追加
/647ページ

第二章 砂漠の駐屯地

◇  砂漠。ヘリが着陸したのは、辺りに広大な砂漠を抱えた街の付近だった。ジブチ共和国。スエズ運河付近で、紅海に面している戦略的価値が高い、逆に言えばそれ以外の価値がない場所である。お隣はソマリランド、つまりは海賊で近年ちょっぴり有名になったソマリアだったりする。  こんな悪条件の駐屯地は外人部隊に任せちまえ! そうなったかどうかは別として、ほんとに何もない砂漠。  この基地を管轄しているのは第13准旅団、外人部隊の上級司令部である。全く聞き慣れない准旅団とは、簡単に言えば連隊である。伝統を引き継ぐために、この呼称にしているらしい。  司令は何とか言う中佐で、恐らくは一度も会う機会はないだろうから覚えない。  俺達を乗せてきたヘリが給油を行っている。帰らないでー。軍曹に連れられ、基地の一角に歩みを進める。小隊長は、基地司令に挨拶に行ったのだろう。  割り当てられた部屋は八人部屋、つまりはグループが丸ごと雑魚寝である。もう人権を訴えてやろうかしら? 簡単に施設内の説明を受け、最後に軽い注意が与えられた。 「サソリに刺されたら、よく柄を覚えておくように。血清を打たなければ死ぬぞ。あと、血清がないサソリも三割位居るから、それには刺されるな」  もし、その三割に出会ったら、諦めろとのことだ。猛烈におうちに帰りたい。  ご存知のように、砂漠で水は貴重品である。体は無水石鹸で洗うようにと指示された。そんなのがあるんだ。本国とは違い、ワインは少ししかないが、代わりにビールが山のように置いてあった。理由は簡単、暑くても腐らないからである。  黙っていても汗が滲み出る、何せ暑い! 知りたくもない気温を、四十二度だと教えられると、何割増しかで暑さを感じた。当然と言えば当然なのだが、遊びに来たわけではないので、訓練が命じられた。この過酷な状況でも、まずは長距離走である。  小銃を手にし背嚢を背負い、分隊支援の無線や火器を分担して運び、嫌々外へと繰り出した。はっきりと言える、今この場で除隊が可能ならば、小隊は一人も残らずに、消え去るだろうと。  五十分歩いては十分休憩を挟むが、その時に背嚢を降ろすとあることに気付く。再出発が辛い! よく見ると、伍長らは決して背嚢を外さずに休んでいる、つまりは事実辛くなるのだろう。次の休憩の時に試してみる、やはり辛さが和らいだような気がした。  小隊が大休止、つまり昼飯の為に準備を始める。一時間で砂漠を、二キロ位のペースで歩いたのだろうか。兵が砂丘の先に、影が見えたと報告する。気にせずに昼食をとり、そのまま昼寝をする。極端に暑い地域では、昼寝をしなければ体が持たない。  二時間ほど過ごしたのだろうか、兵が誰かが近付いてくると声を上げた。軍曹が警戒するように、命令を発する。目視可能な距離まで近付いてきた、その男はチャリンコにカゴをつけて、何かを運んでいるようだ。  さらに近づき、片言の英語でこう発した「コーラ買わない?」  軍曹がポケットマネーで、カゴ丸ごとを買い上げて振る舞う。ぬるいくせに、何故か不思議と体に染み渡った。  ふと気づいた兵が呟いた。「あの砂丘までって、二十キロはあるよな……」大休止してから、二時間の昼寝でやってきたわけだから、時速六キロ強。侮れんな現地人! しかも、買うか買わないかもわからない、コーラを売りに来ただけで。いや、買ったけどさ。  砂漠の行軍に慣れてからも、どう頑張ってもあのコーラ売りのようなスコアを出すことは出来なかった。釈然としない何かを抱えながらも、ひとまず訓練は無事に進んでいった。  幾日か洗礼を受けた後、ようやく体が馴れてきた。人というのは恐ろしい、初日はあれだけ苦しかったのに、今ではそれを感じない。  いつものように、唐突に命令が下る。「各班ジープに分乗せよ!」運転は基本的に、一番下っ端がするものである。ハンドルを握り、左右逆のシフトに違和感を覚えながら、道なき道をうねりながら走行する。非常にお尻が痛い。しかし自分で運転しているだけ、まだましかも知れない。  苦労しながら一時間余りだろうか、やたらとだだっ広い川らしき、濁りきった色の縁についた。高低差がないために水の流れが遅く、結果として濁るのは平野部の常だろう。  下車命令で、炎天下整列する。今頃気づいたが、砂丘の手前に何か建物のようなものがあり、そこに木材が置いてある。  何をするかと思えば、川を泳げとのことである。プールや海では泳げたが、果たしてこの川ではどうだろうか。背嚢を降ろして、小銃をジープに立てかけると、軍曹が一言命令する。 「装備を取り出して、背嚢に砂を詰めて背負え」  知らなかった、殺意とはかくも簡単に芽生えるものだったとは。互いに顔を見合わせ、砂を控えめに詰めると、軍曹に睨まれた伍長が、沢山砂を追加してくれた。ありがとう、そしてさようなら。  三十キロの砂が水を吸い、更に軍服を着用のままならば、即座に水没間違いない。そこで先ほどの、木材の出番だ。必死に捕まり水没しないように、足をバタバタさせる。  水練が得意な伍長らの一部が、注意を払いながら、限界を超えた兵を引き上げる。お願いだから、その限界の基準を下げてくれ。泥水を俄かに飲まされた兵に、錠剤を配ってやる。胃腸薬だそうな。  ムチャな命令を消化して、軍服を脱ぎ捨て砂の上に広げると、水蒸気を放ちながらものの数分で乾いてしまった。来たからには帰らねばならない、また一時間余りの道のりを、ジープに揺られて移動する。不運にも腹を下した兵が、数人いた。あの胃腸薬は、先に飲ませるべきだったのでは? ふと余計なことに気付きながら、今日も日が暮れていった。  例によって後から教えられたのだが、あの川には肉食の水棲生物がいたらしい。それがピラニアなのか、ワニなのかはわからないが、知りたいと思わなかった。  ハードな、それはもうハードな一日だった。山とつまれたビールを、ケースのままテーブルに持ってきて飲み始める。就寝時間がきて、適当にみな散っていた。程よく酔い寝付いたあたりで、突然金属音が鳴り響いた。 「百八十秒で整列!」  寝ぼけた頭に、伍長の声が響く。あたふたと軍服に着替えて廊下に整列すると、ストップウォッチを手にした軍曹が、時間をはかっている。自分達のグループが並び終わってから、更に六十秒程、最後のグループが整列を完了した。ストップウォッチを、カチリとするのが見えた。 「三百四十秒だ、ここが戦場ならば、貴様等は全員戦死した。わかったらこれから長距離走だ!」  伍長らが「ダッカァール!」と腹の底から答えると、皆が真夜中の砂漠を走りに行った。夜は放射冷却現象のせいで肌寒い。案外動くには、都合が良いような感じがする。しかし、毎回ながらの無茶ぶりにげんなりだ、これでも朝寝坊したら怒られるんだろうなやっぱり。  で、無情にも朝は等しくやってきた、眠い。深夜の長距離走で一時間も動けば、すぐに寝付けるわけもなく、朝日が登る頃に寝付いたら、すぐに起床である。徹夜で遊んだりすることもあったので、多少の寝不足など珍しくもない。  いつものメニューをこなし、午後からは手榴弾の訓練を、行うことになった。基地から十五分ほど離れた場所に、コンクリートで仕切られた、不思議な何かが佇んでいた。  今回の手榴弾は、四秒ヒューズと呼ばれるもので、安全ピンを抜いてから安全握を外し、四秒で爆発する物を使うそうだ。訓練用で火薬少なめの物らしいが、当然注意が必要である。軍曹がそんな説明をしてる中で「あっ」との声が聞こえた。数人がそちらを向くと、手榴弾を足元に落としたバカがいた。信じられないことに、右手にはピンが残っている。 「たっ、退避!」  すぐさま軍曹が叫ぶと、蜘蛛の子を散らすかのように、皆が一斉に逃げ出した。ドーンと砂を辺りに撒き散らして爆発する。そして次に、軍曹が爆発することになった。一切誰も同情することなく、こってりと説教される姿を、ただ眺めているだけだったのは、最早言うまでもなかった。  暫しの嵐が収まり、仕切りがあるコンクリートの説明が始まった。極論するならば、仕切りで爆風から身を守るためのものだとか。  質問が多い兵士は、良い兵士ではない。しかしながら、適切な疑問は歓迎する。先ほどの騒動で、目ざとく気付いたらしいが、あっ、と言ってから四秒たたないうちに、爆発した気がすると。確かに早かったような? 答えは簡単だった、四秒ヒューズとは、摂氏十五度での時間であり、気温が高いほどに早く爆発するらしい。ジブチならば三、五秒程度になるそうな。絶対に説明忘れてたよな。  ともかく、これを投擲するところから始まった。野球を少なからずかじるような国ならば、なんら教えることなく、遠くにまで放ることができた。そうでない兵も、一時間も練習したら、充分な飛距離がでるようになった。  コンクリートの仕切りを使って、訓練を開始する。数人ずつ投擲して、爆発してから突入を繰り返す。自分達の番になり投擲、ドーン、ドーンと鳴り突入! その直後にドーン。 「貴様、投擲の数をしっかり覚えておけ!」  危うく爆死するところだった。再度やり直し、爆発が三回、突入! その直後にドーン。 「貴様等死ぬ気か!」  話を聞いてなかった次の組のやつが、後ろから投げちまったらしい。二回も死にそうになったぞ。後片付けは当然、最初から最後まできっちりと、手榴弾を落とした二等兵が引き受けた。  中々スリル溢れる一日であったとさ。まるで、めでたしめでたし、と終わるように見せかけて、深夜にまた整列がかけられた。今度は問題なく整列出来た、ところが別グループで一人、ブーツを左右反対に履いている兵を見つけると、ニヤリと笑った軍曹が「小隊の連帯責任だ、長距離走始め!」そう命令した。  どうやらファッキンサージの目的は、整列ではなく走らせることにあるらしい。ようやく意図を見抜いた俺達は、砂漠とは反対側の夜の街に向かい、三十分程酒を飲んでから、基地をぐるっと迂回し帰還する。気が利いた伍長に敬礼をし、ベッドに横になることにした。  今夜はサービス当番で、監視小屋に詰めている。断言しよう、こんな暗い中、いくら目を凝らしても、何もみつかりゃしないと。  一緒に詰めている、先輩の一等兵が銃を立てかけて、どこから持ってきたのか椅子に座る。 「なあ、お前はカマロン記念日って知ってるか?」  聞いたこともないと返事をする。そうすると、相手はつらつらと語り始めた。どうやら彼も、先輩から語り継がれたらしい。どうせやることもないし、寝てしまわないようにと、話を聞くことにした。  百数十年前の逸話。  メキシコに、フランス外人部隊が派遣されていたことがあった。本国で大量補給の指令が出され、物資が移送されることになると、その護衛にダンジュー大尉が宛てられた。指名されたのは、外人部隊の中隊で、当時六十五名が中隊に所属していたそうだ。  中隊をまとめる中尉が不在のため、二名の少尉が小隊を指揮し、ダンジュー大尉が中隊長を引き受けることにした。補給物資は、何と数百万フラン級の価値を誇っていたそうだ。わかりやすく表すならば、孫の代まで遊んで暮らしても、余るくらいの額ってことだ。  真夜中に護衛と共に出発し、朝になると朝食のために大休止をした。その時点でどこをどうしたのか、メキシコ軍に情報が伝わった。  敵連隊長の大佐は、騎兵八百を先行させて、歩兵千二百を追わせた。ついに輸送隊は斥候に見つかり、小競り合いが起きる。ダンジュー大尉は、すぐに輸送隊を逃がし、外人部隊に戦闘を命じた。輸送隊が離れたのを確認すると、カマロンの丘にまで退却し、そこにあった陣地を使い、メキシコ軍を足止めする作戦を採った。  丘には高さが数メートルの壁が置かれており、それに拠って中隊は徹底抗戦を行った。騎兵がカマロンを包囲し、少数のフランス軍へ、降伏勧告がなされた。大尉の返答は「降伏を拒否する」だった。そして大尉は部隊にこう命令した「お前らしっかりとここで死ぬんだぞ」と。部下はそれを「了解」と答えたという。  多勢による攻撃が始まり、負傷者が続出し、更に敵の歩兵部隊が着陣した。激しい攻撃に晒され、ついにダンジュー大尉が、戦死した。再度降伏勧告がなされ、次席にある少尉は仲間を見渡す。自身を含めて五名しか、満足に戦える者がいないことを確認すると「我々は最期まで抗戦する、降伏はしない」と返答した。直後に少尉が戦死し、四名も命を失った。  戦える者が居なくなったが、負傷者達に聞いても、降伏を拒否する始末に大佐は驚き、ついには自身の足で去れるならば、と休戦を認めた。外人部隊の全滅により、輸送隊は無事に到着し、その自己犠牲はフランス本国に伝わり賞賛を集めた。 「それがカマロン記念日といって、我ら外人部隊の記念日だ」  それ以来、外人部隊は決して仲間を見捨てず、敵に降らず、最後の一人になろうと戦い抜く姿勢を貫いてきた。特別なことではないが、それを継続してきたのは素晴らしく、数え切れない先人の魂を必要としてきた。その後裔に自分が当たることに、何か誇らしげな気持ちが湧いてきたのを感じた。 「で、カマロン記念日っていつなんですか?」  問いかけるも「さあ?」と答えられ、調べておけよ! そう心の中で突っ込む島がいた。ああ星が綺麗だな。  今、資材倉庫を警備している。端から見たら、小屋の前に立たされているようだろう。実際その通りである。軍基地内の、しかもフェンスの内側にある小屋に、白昼堂々、誰が盗みにはいるのだろうか。小学生に考えさせても間違いなく、もっと楽な相手を選ぶだろう。  置いてあるものは予備の衣服や食料、建築物の補修材料にセメントなどだ。もう一度言う、誰がここから盗みをする?  しかも夜番のように楽は出来ない。何故なら、これといって視界を遮るような壁もなく、薄っぺらい日除けがあるだけで、下士官室から丸見えなのだ。誰が作ったか知らんが、後任のために角度や厚みを間違えるくらい出来たろうに。  どのような任も、単独では行われない。今も隣に一等兵が立っている。誰かに気付いたようで、表情が変わった。巡回の伍長が、資材倉庫内の点検を行うと伝えてきた。そんな予定は聞かされていないが?  隣を見ても困惑している、結局それを認めると、倉庫へと入っていった。と、思いきや、一歩足を入れてすぐに戻ってくる。 「貴様等の任を復唱してみろ」  倉庫警備であることを、腹の底から声を出して復唱する。するとどうだろうか、今さっきなんら許可なく侵入された、と告げられる。あんた鬼だよ。 「貴様等は何ら判断せずと良い、異常があれば迷わず上に報告せよ!」  改めて言われたら、確かにそんなことを遠い昔に聞いたような気がする。あ、今朝方か。その場にて腕立て伏せを百、と命じられ「ダコール」と返答し、励むことになったのは疑いようもない。  不意にその言葉を聞いて驚いた、もうすぐ「冬」になるらしい。くそ暑い場所にいるから考えもしなかったが、夏休みに拉致されてから、もう半年も経過しようとしていたとは。  外人部隊では、クリスマスを重要なイベントと位置付け、基地総出でお祝いをする。家族が居る者も、強制的に参加である。隊員にしてみたら、部隊こそが家族との意味合いだ。  交換用のプレゼントを、各自で準備するように言われた。一体どんなものを? 気になり聞いてみると、迷彩ネット、サバイバルナイフ、防水腕時計、などなど何となく方向性が掴めた、軍隊だなぁと感じるわけよ。  ようやく休暇の日には、外出が認められるようになり、街をグループでぶらついて買い物を楽しむ。これだと思うプレゼントが見付かった。現地のお酒で、アルコール度数九十、とかかれている、飲んでも無事でいられるか、わからない代物である。傷口の殺菌にも使えるだろうから悪くない。何より酒を手にして、喜ばない隊員を見たことがない。  軍格闘術、マーシャルアーツ。呼び方はなんであれ、近接戦闘技術は、歩兵ならば必ず身につけていくものである。外人部隊では、銃剣を使った格闘術が代表的で、当然訓練でも行われることになった。銃剣といえば刺殺がその用途であるが、外人部隊ではそれにプラスして、銃床による打撃を組み合わせ、幅を持たせている。  木造のレプリカを手にした軍曹が、手本を見せるために、誰か掛かってこいと見回した。絶対にろくなことにならないとわかっているため、誰一人として志願しない。島を含めて、体格が良いものばかりである。勝ち気な若者を黙らせるだけの威厳を持ち合わせている、きっとそんなところなのだろう。 「シーマ二等兵、志願しろ」  近くから、悪魔の囁きが聞こえる。先輩の命令は絶対である、ましてや軍隊ではなおさら。仕方がなく一歩前へ出た。すると軍曹がにやりと口元を曲げて頷く。 「ほぅ、俺に楯突こうとはいい度胸だ。死ぬ気で掛かってこい」  この流れなら言える、ブーツにキスして服従するから、許して下さい。伍長がレプリカを手渡し「生きて帰れよ」などと余計な応援をしてくれた。  どこからでも掛かってこいと、くいっくいっと指を動かす。まともにやっても勝てるわきゃない! 意を決して突いてみるが、簡単に避けられてしまう。声を上げて再度攻撃すると、すれ違いざまに銃底が腹を打ち、蹴りが来て転倒する。顔を向けると、そこにはレプリカが突き出されていた。 「お前は戦死した」  そう宣告すると、当たり前のように、腕立て伏せを命じられる。全員が叩き伏せられ、後になるほどに、軍曹の打撃が強くなっていた。ラッキー。そう思ったのも束の間、二周目が始まり程なくノックアウトする。世の厳しさを知ることとなった。学校で柔道をやったときの記憶が蘇ってくる、負けた数が多いほど身に付くとか。  あちこちに打撲を抱えて、教練が終了した。中には軍曹に一撃入れることが出来た者がいたが、残念なことに手厳しい反撃を受けて、医務室へと連れられていったようだ。負けて良かった、そう深く感じた島であった。  考えなかったわけではなかった。いやこの状態で、考えない方が少数派ではないだろうか。基地の近くに町は一つしかない、車で一時間も走れば、集落の一つや二つあるが。その町に今、かなりの外人部隊兵が展開している。一軒ずつ訪問しては確認し、バーやショップを探してまわっている。  皆で探してまわる。何かと言えば、脱走兵である。嫌になって逃げ出すやつが居て、当たり前だろう。誰もが我慢強く、誰もが兵士に向いているわけではない。除隊が無理なら、脱走するか大怪我をするしかない。どちらの道をとるか、百人にアンケートしても、多分同じ答えしか聞けないと思うぞ。  そもそもが入隊に際しては、志願するか、志願させられた者しか存在しない。在隊の義務があるわけだが、毎年何人も行方不明者があらわれる。当然大半は失敗、うち半分は再度の脱走を試みる。  一番ポピュラーな蒸発方法は、休暇で街に出てそのまま帰らない、これである。それだけに朝の点呼で人数が足らないと、またかと伍長が呟くわけだ。珍しいものでは共同演習で、相手の国の兵に混じって逃げようとした、猛者もいた。当然すぐにばれてしまい、本当に縄をかけて連れ帰ったそうな。捕虜かいな。  訓練時間を潰しての捜索である、個人的には感謝したい。だが残念だとの表情を表しておく、べ、別に班長が怖いとかじゃないんだからね。そんなこんなではあったが、昼過ぎについに発見された。バーガーショップでランチの最中だったのを、サボってコーヒーブレイクしようとした班が、拘束したらしい。何故だろうか、二重に苛立ちを感じたのは?  まだまだ自分が精神的に未熟なのを感じたが、悟りを啓くのは後回しにした。伍長が帰還の命令を出すかと思いきや、なんと基地までの路を、更に捜索すると言うではないか。何を捜すのかと聞けば、脱走兵が所持していたが、途中で紛失した小銃をである。んなもん無くすな!  多くの隊員の刺さる視線を背に、拘束された兵は一足先に基地に送られていった。そして残された皆は、幅一、五メートルの間をあけて、砂漠の道なき道を横隊で歩いた。どこで紛失したか覚えていなかった、その為に広大な範囲を、一歩ずつ捜すことになったそうな。なるほど先に帰還させなければ、この場でボコボコにされていただろう。まあ既に顔が腫れてはいたが。  見つからない。基地まで必死で捜したのに何故だ! 既に誰かが拾っていったか? 可能性がなくはないが、軍の基地周辺の砂漠に、ぽつんと落ちている制式小銃、拾っても良い未来が拓けるとは、到底思えない。日が暮れてしまい、翌日も捜索とのあ、りがたい命令をいただいた。細い棒を手にして、ザクザクと砂をつつきながら、今度は基地から町へと向けて歩き始める。ヒジョーに地味である。だが文句を言っても終わる訳じゃないので、素直に進む。  数回の小休止に、一回の大休止を行い、ついに隊のどこかで「見つけた!」との声が聞こえた。昨日も同じ場所を歩いたはずなのに、不思議なものだ。砂でも被っていたのだろう。散々迷惑をかけた兵士は、以後大人しく兵営生活を送り、半年がすぎた頃、ようやく外出が許可された。翌朝の点呼で、一人足りないのがそいつであったが、武器庫に小銃がしっかり鎮座してるのを確認すると、皆がほっとした。またそいつを捜索するも、ついに見つからなかった。が、それはそれで良かったのかも知れない。ジブチ駐屯での、一番の思い出がこれで、少し悲しい島であった。
/647ページ

最初のコメントを投稿しよう!