4人が本棚に入れています
本棚に追加
「逃げたいんでしょ」
「いや、そういうわけじゃないんです」
反射的に、考えていたことと全く別の言葉が口から出た。
「逃げたいとかじゃなくて、少しおかしいんじゃないかって。手錠とか、首輪とか止めてもらえますか。そうすれば私だって何か協力することはできるんです」
立ち上がった百花は、まるで別の人間が腹話術で自分の身体から話しているような感覚に苛まれながら言葉を出していた。
「ここを拠点にしてみなさん生活していらっしゃるんですよね。お年寄りの方たちも生き生きとしてて。私も何かの役に立てるかなって、少し考えてて」
協力? 役に立つ? 何を言ってんだ私は。
「私たちに協力してくれるの? あなた、もう普通の日常に戻れなくなるわよ」
戻れないだって? 嘘だ。悪夢だ。
だが手錠と首輪だけは何とかして欲しかった。百花はその一心だった。
「なんでもしますから」
女は一瞬何かを逡巡しているような様子だったが、ほどなくして鋭い眼光で百花を見据えた。
「ホントにあなた、なんでもする?」
「あたしがなんでもするって言ったらなんでもするわ」
おもむろに女は百花を引き寄せると、突然、唇を百花に重ねてきた。
舌と舌が重なりあって、その瞬間抱き寄せられて女と重なり合った百花は、されるがままになっていた。
女の手が百花の腰にまわり、丹念に百花の身体のラインをなぞっていく。唇を交わらせたまま、手が腰から前へと動いた。
「もっと過激なことも」
「いや、それは」
女は百花を軽く突き放した。
「いいわ。今日は合格よ。数時間は手錠と首輪は外してあげる」
放心してされるがままになっていた百花は、何が起きたのか理解したくなかったが、女はトイレの扉を開けると、待機していた白い服の若い男に指示を出した。
「けっ、いいんですかい? ろくなことにならねぇんだってんた、まったく」
勝田と呼ばれた大柄な中年男が毒づくなか、百花はトイレの扉の前で立ちつくしながら、先ほど期せずして味わった唇と指先の感触を確かめていた。
最初のコメントを投稿しよう!