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「母さん」
その時広間から、絞られている雑巾を連想させるような声が響いてきた。
「母さんだろーっ。母さんなんだろーっ。助けてくれよ、母さん」
淡路博隆の声に、淡路隆幸の声が被さる。
「オヤジ、みっともないから止めろよ。ここでは無駄だ」
「隆幸、お前、俺の言うことが聞けないのか。こんな場所に連れてこられて、訳のわからないことをされて、正気でいられるか」
「オヤジ、横で大声出されると俺もおかしくなる」
「なんだと。その言い方は、お前、それでも俺の子か。母さんも、隆幸も、お前らどこまでみんなして俺を侮辱するんだ。身内だろ。母さん。母さーん。聞こえてるんですか、母さーん」
淡路博隆の着ていた紺のスーツは今や形が崩れてしまったが、博隆の細い顔はそれ以上に崩れ始めていた。
一緒に捕えられているこの中年の男性が、隆幸の父親であることが百花は理解できた。
恐怖と闘い、長時間手錠をされ繋がれていることが原因なのか、錯乱状態の一歩手前で怒鳴り始めた博隆は、羞恥心を失っているようだ。
冷静になって事態を把握しなければいけないのに――。その点では、息子の隆幸のほうが冷静だった。
ミズエに〝勝田さん〟と呼ばれた男が、やにわに穿いていたズボンからウィスキーの瓶を取りだすと、片手で呷りはじめた。
「母さん、母さんっていい歳こいてみっともないったらありゃしないよ。あれ、恥ずかしくないんですかね。おお、みっともねえ」
勝田はぐいぐいウィスキーを呷る。
「てめえが今までしたことは棚にあげてよお。馬鹿にすんじゃねぇぞ」
勝田の言葉に、歯が抜けている一人の老人が、手を叩き始めた。
半纏のようなものを着た老人が「そうじゃ」「そうじゃぞっ」と相槌を打つ。
お手玉を籠に放る老人たちの手の数が、心なしか増えているように百花には感じた。
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