4人が本棚に入れています
本棚に追加
ただただ、一心不乱にモップで床をこすり、雑巾で壁を拭く。
一体自分は何を話そうとしていたのだろうか。
あらぬことを口走っていた気がする。
ただ、逃げたい、この場から脱出したい、その一心で口を開いたのに呂律が回らず、訳の分からない言葉を口にしてしまったかも知れない。
だがミズエや老人たちが見ている前で、もはや隆幸に、自分の言動を振り返る余裕はなくなっていた。
隆幸は、女の目が徐々に大きくなっていくような、薄気味悪い錯覚に陥っていた。
女の目を直視することができない
女の目は、まるで巨大な爬虫類に変化していくような目で、強烈な光を帯びていた。
一体あれはなんだ。
床をこすりながら、怯えた隆幸はその場にいる誰とも視線を合わそうとはしなかった。
とにかく掃除をするんだ。
この施設を、できる限りの力を使って、きれいに磨き上げる。
そうしなければあの女に、酒臭い男や老人たちに、何をされるか分からない。
モップと雑巾を手にした隆幸は、この世でやることはたった一つしかないかのように、遮二無二なって動いていた。
「おお、タカユキちゃん。頑張っとるなぁ。感心、感心」
夜の渋谷で目にした時とは、別人のようになっている祖母の声が耳に入る。
続けて、まるで何かに変心し、幻惑するような女の笑い声がした。
「ふっふっふっ。ふふふふふ」
怪しげな笑い声に背筋が寒くなりながら、隆幸はもうなにも見ようとはしなかった。
この施設をきれいに磨き上げる。
それしか今の自分にできることはない。
それ以外になにもできない。
「何やってるの、タカちゃん。大丈夫なの。」
必死で近付いてきた百花が、強く隆幸の腕を握った。
「百花、掃除に専念させてくれ。俺はこの施設をきれいに磨き上げないといけないんだ」
最初のコメントを投稿しよう!