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名乗られて、文は一瞬真顔になる。
そうか、この娘があの稗田か。
これはようやく縁が重なったかと、面白くなった。
「初めまして。私は射命丸文と申します」
少し遅れた山彦で挨拶を返す。
「あ、同じ名前。奇遇ですね」
「そうですね。字は違いますが」
お互いの字を教え合う。そこで、文は阿弥の漢字を知っていたが、阿弥はそれで文で「あや」と読むのだとしきりに感心していた。
「なるほど。判りました。文」
ビクリと文の背中の羽が震え上がった。
文は初めて、会ったばかりの人間に呼び捨てにされた。
一瞬だけ表情が抜け落ちたが、すぐにまた天狗特有の、優しげで、でも少しだけ相手を見下した笑顔を作る。
一方の阿弥は、にこにこした顔のまま動かない。文が何か言うのだろうかと、ただぼうっと待っていた。
恐ろしくはない。それは無知からか? それとも妖怪など恐くないという慢心か? それとも妖怪を知って尚恐れないのか?
ゾクリと走る興味。軽い鳥肌。まだろくに生きていない少女の、この無邪気な強さに惹かれた。
「あなた、稗田の娘っていうと、見たものを忘れない程度の力を持っているって聞きますが」
「はい。見たものは忘れません」
「なるほど」
胸を張るでなし、謙遜するでもなし、少女はなんともなく言葉を吐き出す。
ただそのままに。
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