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しっとりと離れた唇は、余韻が残っている。
「やっと。」
また元通りの位置に戻った美馬さんの声が、頭上から舞い降りてきた。
「ん?…やっと?」
美馬さんが零した言葉を、私は拾い上げて返した。
ダークグレーのスーツは、よく見るとワイン色のラインが格子に入っていて、実はチェック柄なんだって気付いた。
さっきまでは、余裕がなくて気付けなかったのに。
キスをしたら、なんだかホッとしたんだ。
不思議なくらいに、居心地がいい。
「明奈さんが、僕の気持ちに応えてくれた。こんな時間も過ごしたかったんだよ。」
やんわりと話すその声までも、温かさがある。
だからなのかな……。
「初めて会った日、覚えてる?あの日から、僕は明奈さんが気になっていたんだ。」
離された身体。
トレンチコートからはみ出た肩が、夜の空気に触れて、美馬さんの温もりを奪おうとする。
黙ったままの私の髪を撫でる手が、また緊張を呼び起こす。
「もっと知りたいから近付いて、好きになりそうだからデートして、好きになってほしかったから……電話を入れてまで、当日の夜にデートの約束を取り付けたんだよ。」
「…そんなこと言われても。」
私が美馬さんに釣り合う自信なんて、今だってないのに。
「私なんて、って顔してる。」
「だって、そうでしょ?美馬さんはとても素敵だから、私の気持ちは叶わないかもしれないって、ついさっきまで思っていたんです。」
撫でられている感触が止まって、頬が包まれた。
「それでも、僕が選んだのは、明奈さんだから。」
頬にあった手が、顎先に触れて。
真剣な眼差しのグリーンは、少しずつ近付く。
そして、視点が合わなくなると同時に、目蓋の裏に焼き付いた。
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