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「名は希望を表す」
日本人の場合、子どもの名付けは親にとっての試練だと、僕は思う。子どもに求めるモノ、授けたいモノ、大切にしてもらいたいモノ……様々な希望を短い名前に表現するのは難しいことだ。
だからこそ、ただ可愛いから、かっこいいからという理由で名付けをするのは間違っている。子どもの名付けとペットの名付けは全く違うものなのだ。
日本語のバリエーションの多彩さは、正しく使ってこそ意味をなす。人名に使う場合も然りである。
例えば父が付けた僕の名前、範居(のりおり)には、三つの希望が表現されている。
「人の模範となる」
「どこにいても必要とされる」
「正しく状況判断ができる」
そういう人間になって欲しい。
僕はこの名前が好きで、同時に誇りだ。だからこそ両親のことも好きだし、誇れる。
子どもが誇れる名前を付けることが、親の最低限の義務である。これから親になる日本人は、その難しさを理解した上で、子どもに最高の名前がつけられるよう努力して欲しいと思う。
ちなみに姉の名前は漣(さざなみ)である。こちらは母が付けた。この名前には
「大人しく、お淑やかに」
「天使のように可愛らしく」
育って欲しいという意味が込められている。
さて、変則的な自己紹介も終わったし、話を進めるか。
いつも通りの時間に起床したはいいものの、入学式の二日前、することのない僕は手持ち無沙汰に午前を過ごし、午後になって映画を見に行こうと思い立った。高校生になれば映画の料金が上がると思うと、休みでかつ少しでも安い今のうちに見にいくべきだろう。
念のため、机に向かって唸っている姉に声を掛けると、振り向き様に噛み付かれそうになった。
暴力反対。宿題でもしているのだろうか。手間取るような量じゃなかったはずだが。
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