TOKYO

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 翌日あらためて上級の職員が数人その時空の穴の向こうへ行き、十分程で戻って来た。彼らはあちらの世界から一枚の新聞紙を拾ってきた。それはハングル文字で書かれた物だったため、美里が呼ばれ内容を調べるよう言われた。  驚いた事に、それは北朝鮮の国営新聞であり、明らかに発行されたばかりの真新しい物だった。あの時空の穴はなぜか北朝鮮のどこかにつながってしまったらしい。それだけでも充分驚天動地というべきだが、さらに驚くべきことに美里は気づいた。  その新聞の日付は、西暦1994年3月11日。その時空の穴は空間の位置だけでなく、時間をも飛び越えて、過去の北朝鮮のどこかに通じていたのだ。  すぐに研究所全体が日本政府の厳重な管理下に置かれ、私服だが明らかに自衛隊員とおぼしき屈強な男たちが数十人、研究所に24時間詰めるようになった。研究所員は、事務棟での仕事を続ける事は許されたが、サイクロトロンには近づくことすら禁止され、またその件に関しては厳重なかん口令が敷かれた。  数人の大学院の研究生が事故当時助手として研究所にいたが、彼らは以後研究所から退去させられた。だが、異変に勘付いたそのうちの一人が事の重大さを理解しないまま、インターネットに書き込みをしてしまった。  美里は在日朝鮮人だったため、真っ先に疑いをかけられしばらく軟禁状態に置かれた。だが情報漏洩の犯人が学生の一人だったと判明したため、東京の本部に呼ばれ、やっと正式に濡れ衣が晴れたばかりだった。
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