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四谷が何かを言いかけ、そして小さく舌打ちして自分のバッグを探った。
隅にまぎれていたそれを、バッグのなかで一瞬握りしめ、そして取り出す。
「……あのさ。俺が来なかったら、アナタどうしてたの」
「来たじゃんか」
「もしもだよ。俺ん家に来てたのか」
鍵穴に。一矢の自宅の合鍵を押し込みながら、四谷は隣でいまだしゃがみこむ家主を見おろした。
「……ほら。開いたよ。早く入りな」
見おろしたままで待つ。腕を引いてやろうとは思わない。
一矢だって、どうせ望んではいないのだ。される屈辱としてしまう屈辱。どちらにとっても、品を落とすようなことでしかないのなら、端から見て冷たかろうが知ったことではない。
一矢は視線を落とし、暫く黙っていた。何を考えているのか。誰とも──自分とも向きあってはいない世界。
「……多分、行かなかった」
ぽつりと一矢が呟き、立ち上がった。
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