episode 18 クイーンの憂鬱 ①

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「私ね、和樹――パリで死んでもいいと思ったの」 2本目の煙草に火をつけながら、貴恵が乾いた声で言った。 「僕のせいですか?」 クリムトの描いた女のように、挑発的でどこか官能的に微笑む。 「いいえ――。パリの陰気にやられたのよ」 「なんです、それ?」 「華やかなら華やかなほど憂鬱。贅を尽くせば尽くすほど憂鬱」 細い指先から立ち上る妖艶な煙が、僕の心をかき乱す。 「そして誰かに――愛されれば愛されるほどに憂鬱」 桃色の唇は まるで僕の心の声を代弁するようだ。 「わあ、重症だ」 僕は戸惑う本心を悟られないように、肩をすくめておどけて見せた。 「それでね、この憂鬱を癒せるのはあなただけだと思ったの」 突拍子もないご指名――。 「僕、ですって?」 僕はようやく現実に引き戻される。 「無理ですよ。陰気な道に人を引きずり込むことはできても、癒すなんて――」 「それでいいのよ。マイナスとマイナスでプラスになるでしょう?陰気には陰気を、憂鬱には憂鬱をよ――」 今度は僕が溜息をつく番だった。 結局 貴恵は退屈して帰国したんだ――。 「和樹、私はね――憂鬱な気分の入る隙がないぐらい楽しみたいの」 悪女の囁きは 撫でるように鼓膜を通って――。 おとなしく眠っていた 僕の魔性を揺り起こす――。
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