episode 20 偏執する愛

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薫が奏でる悪魔のトリル。 彼がはじめてこの家に来たあの日にフラッシュバックしたようだ。 九条さん――。 天使みたいな顔した裏切り者が 僕の斜め前の席に座っている。 「再び貴恵との婚約を受け入れてくれて、私も嬉しい」 何も知らない天宮家の当主は、家の安泰を考慮していわくつきの2人を祝福する。 「ありがとうございます――。そこで本日はお義父様に折り入ってお願いが」 何一つ変わっていない。 愛らしい容姿も 気品高く上品な身のこなしも 脳髄にまで響く低く甘い声も――。 「なんだ?言ってみなさい」 だけど何かがおかしい。 今日の彼には甚だしく違和感を感じる。 「先日、ハーバードで経営学を学んでいた弟が帰国しました。つきましては九条グループは弟の手にゆだねようかと」 貴恵は人目もはばからず、テーブルの上でそっと九条さんの手を取った。 「それじゃあ、君はどうするつもりだ?」 形の良い唇の端が、悪戯に上を向く。 「お義父様――貴恵さんと結婚したあかつきには、僕を天宮の婿養子にして下さいますか?」 その瞬間 一時停止ボタンを押したように キャンドルの炎まで揺らぐのを止めた――。 やがて 僕の手からフォークが皿に落ちる乾いた音で、時間は動き出した。 演奏の途中で弦をだらりと垂らした薫も、再びバイオリンに向き直る。 征司の悪酔いもすっかり醒めたようだった。 「願わくば天宮家の一員となり、一族の繁栄を盛り立ててゆきたいのです――」 いつだって品行方正だったはずのお坊ちゃま。 何を。 一体何を考えている――?
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