episode 22 惑わし

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episode 22 惑わし

翌朝――。 ダイニングへ向かう途中で九条さんに出くわした。 「おはよう、敬お義兄様」 血統のいい猫みたいな、ベージュの薄いカシミアニット。 肩先にそっと触れただけで 彼の身体は僕を認識し ピクリと反応する。 「和樹――」 後ろを振り返ったとたん、美しい目を皿のように丸くした。 「拓ちゃん……どうして?」 僕の隣に立っている人物を咄嗟にそう呼ぶ。 「兄貴――お母様みたいな呼び方しないで。恥ずかしい」 頬を赤らめる拓海を見て、僕は笑いをこらえた。 「昨日、式の途中に会ってね。意気投合したから泊まって貰ったの」 「そうなの……」 拓海は僕のネックレスにさらりと触れると 「安心して。兄貴のお姫様に手を出したりなんかしてないし――彼は俺のこと芸術に疎いから嫌いなんだってさ」 複雑な表情の九条さんに微笑む。 気を利かせたつもりか――。 「ああ、俺の大好きなシャガールの絵があんなところに」 立ち尽くす兄の肩をポンと叩いて、そのまま足早に階下へ姿を消した。 「あれはローランサンだって後で教えてあげなくちゃ」 僕は九条さんの目を見てにっこりと笑った。 たまらない――その顔に走り書きされた文字が見えるようだった。 九条さんは周囲を見渡すと、僕の手を引いた。 背後の空室のドアノブを、器用に後ろ手で回しながら――。
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