episode 23 オペレッタの夜 ①

7/10
前へ
/316ページ
次へ
アルコールの入った拓海の目は純粋な子供みたいに潤んで、艶やかな貴恵の姿を捕らえたまま切なく揺れる。 「『こうもり』のクライマックスを知ってる?」 「いいや。話してもいいよ?どうせもう物語についていけてないんだ」 「隣の人妻にドキドキし過ぎて?」 僕が悪戯に笑うと、拓海も笑って舌打ちした。 「結局さ、主人公の夫婦どちらにも浮気心があった事がばれるわけ。それでどうなると思う?」 「修羅場?」 「それじゃオペレッタにならない」 僕は拓海の耳元にそっと囁く。 「歌って笑い飛ばすんだよ。『すべてはシャンパンの泡のせい』って」 「そりゃあ小粋だね」 「馬鹿にしてるの?なら教えてあげるよ」 貴恵から視線を外さないまま、拓海は僕に耳を寄せた。 「貴恵お姉様って、意外なほど芸術には感化されやすいの。今夜なら浮気心もシャンパンのせいにできる」 拓海の身体が緊張して固まった。 「だけど今夜を逃したら――君がお姉様を誘える機会はもうないかも」 恋の焦り――身悶えするほどの欲望は、賢いはずの彼から徐々に理性を剥ぎ取ってゆく。 「それにテーラードを着た今日の君、いまだかつてないほど素敵だよ」 「お世辞はいい。それで――お膳立てしてくれるわけ?」 僕はポケットの中にある物を――。 「もちろん」 そっと拓海の手に握らせた。 「だけどその前にやってもらわなきゃいけない事がある」 誰かとひとつの秘密を共有するためには 別の秘密も共有する必要があるんだって。 誰から教えてもらったんだっけ? ああ、狡猾な征司お兄様からだったかな。
/316ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3530人が本棚に入れています
本棚に追加