episode 23 オペレッタの夜 ①

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物語も佳境に差し掛かる、第3幕がはじまった。 貴恵の隣に並んだ拓海が、心ここにあらずといった表情そのままに僕の横顔をちらちら盗み見ている。 『――本当にそんなことするつもり?』 今夜の計画を耳打ちすると、拓海は顔色を変えたまま固まった。 『お姉様にはさ、あなたの欲しい物はすべて奪って差し上げますと――そう言うんだよ。それで、君の物』 征司は僕が逃げも隠れもしないと思った余裕からか、おとなしく前列の薫の隣に座った。 「和樹……」 響き渡るソプラノに重ねるようにして、九条さんが僕の名を呼んだ。 いまだ不安げにそっと添えられた指先を、僕は柔らかく握りかえした。 「今夜はあなたと過ごしたいと思ってる。それでいい?」 僕が笑うと、甘く目を細めて九条さんは頷いた。 「もちろん。仕事に戻ると話すから――後で落ち合おう」 「うん。裏口に車を止めて待っていて」 僕は静かに席を立つ拓海と、ほんの一瞬だけ目を合わせた。 拓海がうっすら汗ばんでいるのが、薄暗闇でも分かった。 「――用が済んだらすぐに行くからね」 秘密の恋人に囁きながら、ほどよく柔らかい座席に身を預け、豪奢な肘掛に頬杖をつく。 これでようやく落ち着いて オペレッタの傑作に 聴き入ることができる――。
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