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ロビーに僕1人取り残されると、野次馬の興味も失せたのか人垣は散り散りになった。
すでに――貴恵と拓海の姿もなかった。
僕は狼狽する劇場の受付係に丁重に一礼すると、そのまま外に出た。
茶番は終わりだ――。
肌寒い秋の夜道。
銀杏並木の歩道を黄色い落ち葉を踏みながら、劇場の裏手まで回った。
人気のない裏通り。
温かい色した外灯の下に、ぽつんと白いポルシェが止まっている。
「お待たせ」
助手席に身を滑り込ませると、僕は九条さんの頬に挨拶程度のキスを落とした。
「なんだか外が騒がしいけど、何かあった?」
九条さんは僕の身体を乗り越えるようにして、助手席のシートベルトを締めてくれた。
慣れ親しんだ香水が鼻先を掠めて、僕は柔らかい彼の髪に顔を埋めたい衝動にかられる。
まだそんなに遠くないところで、パトカーのサイレンが聞こえた。
「征司お兄様と薫お兄様が大麻の不法所持で逮捕されたの」
一瞬、自分の耳を疑うように九条さんはポカンとした。
「――なんだって?」
「今聞こえたとおりで間違いないよ」
僕は彼の尖った唇にそっと指先を押し当て弄ぶ。
「和樹」
僕の指先をつかむと、子供の悪戯を咎める父親みたいな顔して
「君、また何かしたね――?」
九条さんが言った。
「行こう。僕お腹すいたよ」
僕は何も答えず、シートに身を投げたまま、上目遣いに年上の恋人を見つめた。
「これからもその目に何度騙されるか――」
心地よいエンジン音に九条さんのため息が重なる。
耽美な指先がゆっくりとハンドルを切ると、ポルシェはライトアップされた美しい夜道を走り出した。
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