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「ふうん、キスしてもらえたんだ。女王様に」
冗談めかして笑っても、拓海は女王の部屋を見上げたまま微動だにしなかった。
真っ直ぐすぎてこちらが恥ずかしくなるぐらいのまなざしで、見えるはずのない貴恵の姿を追い求める。
「ロミオとジュリエットみたい――多少一方通行だけど」
ようやく
「何か言った?」
僕が側にいた事を思い出したように、拓海ははっと我に返った。
「いいや。それより君、大丈夫?」
僕は焦りにも似た不安に駆られて、思わず尋ねた。
出会ってからいくらも経っていないのに。
すっかり失われてしまった拓海の快活さ。
それにとって代わるように彼を支配したアンニュイな倦怠感。
「大丈夫だよ、もちろん。たださ」
「ただ?」
拓海は夢見心地な表情のまま、再び貴恵の部屋を見上げた。
「自分でも怖いぐらい彼女に夢中なんだ」
僕はため息をついた。
「見ているだけで分かる。だけど気をつけて――。表向きその彼女は君のお兄様の妻だ」
そんな事さえ分からなくなってしまったみたいに、拓海はきょとんとして首を傾げる。
障害のある恋がもたらす盲目という罠。
「ねえ和樹――俺決めたんだ」
それは危険な決心だった。
「彼女の望む事ならなんだってする。彼女が喜ぶならなんだって」
冷たい風が吹き抜けた。
「おやすみ、拓海――気をつけて帰ってね」
「ああ。おやすみ――」
拓海は名残惜しそうにいまだ貴恵の部屋を見上げていた。
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