黄月英(こうげつえい)

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話を戻しますが、支配者の妻と同じ家から妻を娶ったという事は、黄家は劉表と肩を並べるほどの名家であり、その娘の嫁入り先もかくあるべき。 しかし、この時の孔明はどこに仕えるでもなく、なんの功績もないただの書生でしかありません。 格式を重んじたこの時代、名門黄家の娘が名もなき書生と結婚…町の人々はこんな噂をした事でしょう。 「黄家の娘、家柄も地位もない無名の男と縁談を結んだんだって」 「ブサイクでどこからも断られたんじゃ?」 「あれだけの家なら、多少ブサイクでも出世の為に承諾するだろ」 「それだけのブサイクって事だろ」 案外こんな、月英を見た事もない民の無責任な噂話からブサイク説が広がったのかもしれません。 中国の歴史書は、王朝が変わった時に新皇帝の命令で、前王朝の資料が集められ編纂されるのが通例です。 資料が集められた時点での風評、尾ひれ話、記録者の思い込み等様々あり、月英が醜かったという話も、その様なものの一つだったのかもしれません。 そして孔明が有名になった時も、無責任な人々は噂したでしょう。 「孔明様はなんでも出来る、実に見習うべき御人だね」 「でも嫁さんはブサイクなんだってよ」 「本当かよ?あんなに偉い人でも失敗する事はあるんだな」 「孔明様の嫁選びだけは、真似するなよ」
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