40人が本棚に入れています
本棚に追加
諺の「呉下の阿蒙」を聞いた事がなくても「男子三日会わざれば刮目して見よ」という言葉は聞いた事があるんじゃないでしょうか?
どちらも呂蒙が語源の言葉です。
呂蒙は若い頃、義理の兄の賊討伐に隠れてついて行ったり、馬鹿にした役人を斬って逃亡したりと、勇猛ではあるが思慮がなく、貧乏であった為に教養もありませんでした。
賊討伐について行った事を母に叱られた呂蒙はこう言ったそうです。
「危険をおかして功を立てなければ、貧乏から逃れる事は出来ない」
上昇志向が強く、その為の努力を惜しまなかった人物なのでしょう。
義理の兄が仕えていた孫策に仕え、その勇猛さでどんどん出世、そして孫権の代になると、孫権からこう言われます。
「学者になれとまでは言わないから、将軍になるなら一通り学んでおこうぜ」
この事からも、勇猛果敢な孫策と治世重視の孫権の性格の違いが分かって面白いですね
孫権から学問の重要さを諭された呂蒙は、持ち前の上昇志向と努力で、孫権の意に反し(笑)
学者以上の知識を身に着け、更に出世街道を邁進して行きます。
後に周瑜の後任として、本国の呉から魯粛が前線の地に就いた時、呂蒙に色々と質問すると何でもスラスラと答え、更には敵攻略の策をいくつも提案し、魯粛を驚かせます。
魯粛は「呉下の阿蒙に非ず(『阿』は日本でいう○○ちゃん的な愛称。つまり、もう呉にいた頃の未熟な呂蒙じゃないな。という意味)」と言い、呂蒙は「男子三日会わざれば刮目して見よ」と答えます。
実際はこんな偉そうな言い方ではなかったろうけど(笑)
学生の頃はまったく勉強しなかったのに、大人になってから無性に勉強がしたくなった…なんて人は、ちょっと呂蒙に感情移入しちゃうんじゃないでしょうか?
因みに、蒋欽という武将も同時に勉強して、孫権に呂蒙と同じくらい褒められたんですが、こっちは全然目立たずちょっと可哀想
最初のコメントを投稿しよう!