プロローグ

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肇は肘掛け椅子に腰かけた自分の肉体に戻った。 閉じていた瞼を静かに開く。。 真っ先に飛び込んだのは無邪気に微笑む旬の顔だった。 「いくら生身じゃないからって、エーテルが消滅したら死ぬんだからな、責任持てよな」薄っすらとした意識のなかで、少し苛ついた武光の声がした。 「すまないな」肇はボソリと応える。 「オトウサン…ミルが作ったんだよ…このベーグル。食べよ?」孫娘の実流樹は重い空気を和らげようと投げかけた。 「オトウサン?食べよ?」旬もそう言って武光に向かって微笑んだ。 肇は一度、孫娘たちに視線を向けて笑みを浮かべると、気遣いされてる自分の不甲斐なさに苛立ちを覚えた。 エヴァーダで暮らす家庭で三世代が共に同居しているパターンは珍しい。 実流樹も旬もバイオプランターが母胎の代わりだった。 この国の子供たちは、誰ひとりとして自らの出世を知らされない者は居ない。 自然、産まれながらに生きる意味と向き合うようになっていった。 2085年を境にして世界で産まれる女性の数が減少傾向を辿り始めたのは果たして偶然だったのか…。 時を同じく、各国では小児から成人まで年齢に関係なく様々な特異体質を発症する者たちが現れるようになっていた。 米国政府の…あの政策はまさにそれを揉み消すかのような政策だと囁かれるなか、肇の妻…小夜子もまた正体不明の奇病に冒された一人だった。 その症状はテレパシー性の異常脳と診断され、後に偶発性共有思念=CSXと名付けられる。 CSXは本人の意志に関係なく、突然他人の想いを感じ取り、弱い精神力では正気を保てないものだった。 思念の雑音で耐えられない人間はノイローゼ…錯乱状態に陥り。それを免れたのは極少数の人間に過ぎない。 ただ国も人種も年齢も様々であった為対処は遅れ、遺伝子に異常をきたす原因が突き止められないまま、それぞれの国は手を混まねくばかりでしかない。発症者の一人であった小夜子の症状は深刻だった。 特殊なたんぱく質の暴走によって、加速度的に組換えられた遺伝子は、想像を超えた新種の人類を造りだした。 数センチ、数ミリ程度の傷なら痛みを感じず、たちどころに治癒する。 CSXは研ぎ澄まされ距離も空間も人智が及ぶものでは なく なっていたのだった。
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