二人の少年。

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大正5年(1916年)6月4日。 沖縄県龍南郡符礼亜村(りゅうなんぐんふれあそん。現沖縄県龍南市符礼亜町。架空地名)に豪邸を構える 『及川商会』 社長及川郷四郎(おいかわ=ごうしろう)邸の離れで、一人の男の子が産声を上げた。 男の子の父は言うまでもなく郷四郎。 琉球王国時代から先祖代々続く砂糖黍問屋…及川商店を出発点とし、今では那覇市のど真ん中に本社を構えるまでに商売の規模を拡大した、沖縄でも指折りの豪商及川家の四代目主人である。 母の名は一式加津子。及川商店に奉公する女中であった。 尚、父母の姓が異なっているのは現在で言うところの、大人の事情という奴である。 やがて加津子により陸攻(りくお)と名付けられた男の子は、加津子が身を粉にして働き続けた甲斐もあり、すくすくとは行かぬまでもそれなりに成長してゆく。 そして大正12年(1923年)。陸攻が小学校に通う頃には、さすがに世間体を気にしたのか陸攻は及川の姓を名乗ることを許されていた。
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