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わたしは、未だに傲慢です。
傲慢なこころが未だに生じます。
しかしわたしは、わたしに傲慢心が起こると、あ、わたしはいま傲慢だ。と気付くようになりました。
わたしは、自分の傲慢なこころに気付くようになれたんです。
そして、自分の傲慢心に気づいたわたしは、自分を責めます。
ああ、わたしは傲慢だ。未だに傲慢だ。と。
それはまだそれで良いとし
ても、わたしは、他の人の中にも傲慢なこころを見つけることが上手になってしまいました。
誰かに傲慢心を見つけると、この人はいま傲慢になっている。と思ってしまうのです。
他人の傲慢心を見つけたわたしは、その傲慢心が気になってしょうがないんです。
お前いけないんだぁ。とは思いませんが、その人の傲慢心にわたしのこころが反応するのです。
こういうことは、以前にもありました。悪口・愚痴・陰口を言わない。と決めたときです。
わたしは、誓ったんです。
もうそんなことしないと。
そしたらそのとたんに、他の人たちがそれをするのを許せなくなってしまった。
他の人がそれをするのが気になってしょうがない。おまけに愚痴を言うのを辞めたわたしは、自分の中の不満を出すことができなくなり、不満が内に内にたまり始めました。苦しい体験でした。
たしかに悪口も愚痴も陰口もわたしは口に出さなかった。しかし、わたしのこころの中は、乱れに乱れました。
わたしの存在した世界は、悪口や愚痴や不満を言う人が多かったんです。もちろんわたしもその一人でした。厳しい就労の現実が、みんなをそのような世界に存在させていたのかもしれません。
いまはそんな世界から離れています。もう戻る気はありません。いまでは悪口も愚痴もあまり聞かなくなりました。
そして、なぜ人が悪口や愚痴を言うのか、言わされるのか、言わずにおれないのか、少しわかった気になりました。
みんな苦しいからね。そんな世界にいるんだよ。不条理な世界で、愚痴くらい言えなきゃ息がつまるよ。
だから、わたしがいま観ている傲慢なこころも、どこか行きつくところがあるかもしれません。
とにもかくにも、自分の傲慢なこころを見つめて、どこかの誰かの傲慢なこころを見つめます。それで何かが分かるかもしれないから。
悪口や愚痴が人々の叫びであると想ったように。
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