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この人間(それが人間だとするなら)は、私の心の中まで視えているのか…………。
「俺は君が来るよりもずっと前からここにいる。光で事象を捉える者には視えないものが、俺には視える。言うなれば、俺の網膜は、闇を捉えてものを視ているのかも知れない。もっとも、そんな仮説を実証する手だては俺には無いし、そうする意志も必要もないがね」
底の知れぬほど低く、深い声だった。その声の質も、言葉も、どこか現実離れした響きを持っていた。しかし、その声は現実の空気を振動させ、現実の聴覚神経を伝って、看守の脳髄で低く深く反響していた。
看守は沈黙を守った。
今まで喋っていた男の声とは別の方向から、喘ぎとも呻きとも判然としない、くぐもった声が漏れ聴こえた。
「どうやら隣人のお目覚めらしい」
男が言うと、その喘ぎ(或いは呻き)は徐々に、喉の奥が千切れるような奇怪な音を立て始めた。
ギギギギギギギ………………――――。
耳を塞ぎたくなるような不快な音だった。
この棟に入れられた者は、三日と待たず精神を病む。
この地下十三階にあてがわれた歴代の看守の中でも、そうした囚人達の障気にあてられ、精神に異常をきたす者が後を絶たなかった。
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