その細くみすぼらしい命を繋いでいたいなら

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 迷った挙げ句、クロワッサンマンはこの花束を持ち歩くことにした。捨てるのはいつでも出来るし、仮に捨てるべきだったとしても、今となっては恐らく遅すぎる。  時計の秒針は今も時を刻んでいる。時間は止まらない。数秒前に選び損ねた選択肢を選び直すということは、別れ道を引き返すということだ。それはとんでもないロスだし、何より岐路にはいつも、善からぬ者が潜んでいる。  ウェッジウッド市民劇場の客入りはまばらだった。巨大なスクリーンにモノクロームの無声映画を映し出している投射機は、その映画同様の、中味のない空虚な音をたて続けていた。  街に溢れる失業者の群れには、映画のチケット代を支払うだけの金がない。運良く失業を免れた労働者には、劇場の座席にくつろいでナッツをつまむ暇がない。そして、彼らの貧困と重労働の上に鎮座する富裕層は、判で押したように国家を讃えるこういう映画の内容に飽き飽きしている。従って、この劇場のような政権の広報活動は、必ずしも成功しているとは言い難かった。  クロワッサンマンは背もたれの端に『D32』と打たれた席に腰を下ろし、肘掛けに頬杖をついて、邪悪な社会主義者を片っ端から撃ち殺すだけの映画を、眺めるともなく眺めていた。花束は隣の席に置いた。
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