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「賢者様じゃない。クロウだ」
クロウは、少し考えるようにしてからナスターシアを見据えた。
「巫女、お前は俺を誰だと聞いたな。未来を知るお前でも、俺の存在は知らなかったのか」
「ナスターシアよ。ええ、そういえば……そうね」
彼と出会った時は無我夢中で、考えるより先に行動を起こしていたが――ナスターシアの見た未来に、クロウとの出会いはなかった。
あの不思議な羽音と共に彼に出会ったとき、何か一本の線を踏み抜けた気がした。
まるでナスターシアのいる世界と切り離された、別の空間へと移ったような。
そこで、クロウは話題を変えた。
ぷいっと、子供のようにそっぽ向くと、
「俺は別にあいつに会いたくない」
「そんな!」
あっさり背中を向けてまた寝転がってしまう。
「約束通り、一時的にお前を匿った。今日一日はここにいてもいい。好きにしろ」
そう言ったきり黙ってしまった背中にかける言葉が見つからず、ナスターシアは小さく息を吐いた。
「分かったわよ……あなたに頼らなくても、私はちゃんと……痛っ!」
見栄を切り、大股で歩き出そうと一歩を踏み出したところで激痛が走り、ナスターシアはその場にうずくまった。
見ると、先ほど――といってもどれくらい前なのか分からないが――痛めた左の足首が、赤く腫れあがっていた。
巫女や神官といった聖職者の中には魔力を持ち、治癒術を使える者も多いが、ナスターシアにはその適性がなかった。
未来可視の力がなければ、本当にただの人間だ。
先ほどから押しては引いて、また押してくる、己の無力さに対する失望と苛立ちの波を振り払う。
(もう一度、『見直さないと』……)
この現状は、ナスターシアの見た選択肢のどこにもなかったものだ。
どこからか、予定が『狂って』いる。
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