第一節 逃げ出した巫女

2/5
前へ
/54ページ
次へ
 ナスターシアは逃げていた。  深まる森の中を、もつれる足で駆ける。  純白の巫女装束は、不慣れな逃亡劇には適さなかった。  長い裾が枝に引っかかり嫌な音がしたが、構わず進むと、今度は土の柔らかい部分に足がはまり白い靴を汚す。  よろめきながら前に進み、ナスターシアは汗をぬぐった。  足は休めないまま、昼なお暗い樹海に目を走らせる。  今のところ、まだ追手の姿は見当たらない。  暦の上ではもう冬を迎えたはずだが、辺りを覆う木々は、暗緑の枝葉を互いに絡ませ、薄暗く奥深い〈沈黙の森〉を形成していた。 「ダメ……! 今捕まっては……!」  息が上がり、足取りが鈍りそうになる自身を叱咤する。  少しでも歩を緩めれば、捕まるのは『見えて』いた。 (このまま、この森を抜けきれば『大丈夫』)  そう言い聞かせる。だが、走ることに慣れていない身体はすでに限界に近づいていた。 「サウレの神よ。もう少しだけ、私にご加護を!」  太陽神サウレ。  サウレ・マーラ教において、最高神と位置付けられる豊穣の神。  教団を出奔しても、決して神を裏切ったわけではない。  ナスターシアは祈った。  胸に抱いた〈翡翠の宝剣〉を握りしめる。  白い鞘に収められた短剣は、彼女が〈塔〉から唯一持ち出した物だ。 「きゃっ……!」  地面から浮きあがっていた木の根が罠のように足に絡み、ナスターシアは前のめりに大地に転がった。  反射的に地についた掌が痛んだが、ナスターシアは慌てて身を起こし、転んだ拍子に取り落とした剣を探した。  己の身と同じか――あるいはそれ以上に大切なものだ。  地面に這いつくばるようにして必死に探し物を求めると、前方の繁みに輝きが見えた。
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加