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ナスターシアは逃げていた。
深まる森の中を、もつれる足で駆ける。
純白の巫女装束は、不慣れな逃亡劇には適さなかった。
長い裾が枝に引っかかり嫌な音がしたが、構わず進むと、今度は土の柔らかい部分に足がはまり白い靴を汚す。
よろめきながら前に進み、ナスターシアは汗をぬぐった。
足は休めないまま、昼なお暗い樹海に目を走らせる。
今のところ、まだ追手の姿は見当たらない。
暦の上ではもう冬を迎えたはずだが、辺りを覆う木々は、暗緑の枝葉を互いに絡ませ、薄暗く奥深い〈沈黙の森〉を形成していた。
「ダメ……! 今捕まっては……!」
息が上がり、足取りが鈍りそうになる自身を叱咤する。
少しでも歩を緩めれば、捕まるのは『見えて』いた。
(このまま、この森を抜けきれば『大丈夫』)
そう言い聞かせる。だが、走ることに慣れていない身体はすでに限界に近づいていた。
「サウレの神よ。もう少しだけ、私にご加護を!」
太陽神サウレ。
サウレ・マーラ教において、最高神と位置付けられる豊穣の神。
教団を出奔しても、決して神を裏切ったわけではない。
ナスターシアは祈った。
胸に抱いた〈翡翠の宝剣〉を握りしめる。
白い鞘に収められた短剣は、彼女が〈塔〉から唯一持ち出した物だ。
「きゃっ……!」
地面から浮きあがっていた木の根が罠のように足に絡み、ナスターシアは前のめりに大地に転がった。
反射的に地についた掌が痛んだが、ナスターシアは慌てて身を起こし、転んだ拍子に取り落とした剣を探した。
己の身と同じか――あるいはそれ以上に大切なものだ。
地面に這いつくばるようにして必死に探し物を求めると、前方の繁みに輝きが見えた。
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