28人が本棚に入れています
本棚に追加
ナスターシアが目を覚ますと、そこは見慣れた〈塔〉の私室ではなかった。
やわらかい寝台の感触に、うっすらと重い瞼を上げる。
(そうだ……私、〈塔〉を逃げ出してきたんだ)
「あの人のために……」
「誰だ? あの人とは」
「……!」
声はすぐ近くで聞こえた。
驚きに声の出ないナスターシアの目の前で、漆黒の瞳が二度瞬いた。
「っきゃぁぁぁ!? 何!? なんであなたここにいるのよ!」
「五月蠅い女だ。ここは俺の宮で、俺の部屋だ。むしろお前がここにいる正当性の方が薄いと思うが」
飛び起きたナスターシアの悲鳴に、男が眉をひそめて反論する。
相手の言葉はもっともだったが、状況が状況なだけにナスターシアは引かなかった。
目が覚めたら、すぐ隣にほとんど知らない男が寝ていたのだ。
「ふ、普通、意識のない女の子と同じ寝台で寝る?! そこは遠慮してせめて床で寝るとかするでしょう?!」
「お前が押しかけてきたのに、なぜ俺が床で寝なければならん。寝台で寝かせてやっただけでも、むしろ感謝して欲しいくらいだ」
「こんな目覚め方するくらいなら、床の方がマシだったわ! な、何もしてないわよね……?」
「何をだ?」
「何でもないわ」
素で聞き返してくる相手にこちらが恥ずかしくなり、ナスターシアは背を向けた。
急いで寝台から降りようとすると、十七、八歳程の少女の姿が目に入った。
それは大きな姿見の鏡に映った、己の姿だった。
「ひどい姿……」
長い金の髪はほつれ、手足は擦り傷だらけ、白い巫女装束はあちこち破れて泥だらけだ。
翡翠色の瞳に淡い落胆が映った。
〈翡翠の巫女〉――そう崇められていても、〈塔〉を出た自分はこんなにも無力な少女だ。
いや、〈翡翠の巫女〉であった時すら、自分は誰かの役に立てたのだろうか――
そう気持ちが沈んだ時、ナスターシアは、己がそんな小汚い姿で他人の寝台を占拠していたことに気付いた。
一気に顔に血が上り、先ほど怒鳴ってしまった相手に頭を下げる。
「ご、ごめんなさい! 私こんな汚い格好で……立派な寝台を汚してしまって……」
最初のコメントを投稿しよう!