太平洋戦争

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「ああ、例の東京の子供達ですね。 へぇ、勿論分かっております。 十時半でよろしかったですかね。 与吉がひとっ走り、迎えに行って参ります」 昭和十九年当時、戦火は本土に迫っており、東京では空襲に備え、子供達を集団で地方に疎開させる学童疎開が行われておりましたが、地方に親類縁故がある家では、縁故疎開と言い個人の家に子供を疎開させるケースも珍しくありませんでした。 我が家に疎開してくる子供達と言うのも、東京に住む遠縁にあたる家の子供達で縁故疎開になります。 この町には、我が家に来た縁故疎開の子供達だけでなく、それからすぐに、お寺には集団疎開の子供達がたくさんやって来ることになりました。
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