第四章-ハッピーエンドとエクスカリバー

29/35
1011人が本棚に入れています
本棚に追加
/100ページ
 俺がカスミを殺す。  内なる衝動との激闘に、心が破壊される程の痛みにもがき苦しむカスミの手が、俺に向かって伸びた。求めているのは死か肉か。  記憶に新しい公園での約束が蘇る。  カスミが無実の人を食い殺した時、それを止めるのは俺だ。殺して責任を取る約束を交わしたのだから。  約束の効果は絶大だ。カスミの生殺与奪の権利は、どう足掻いても俺に回ってくる。  考えなくても分かる。もしカスミが俺を食べたら、正気に戻ったカスミは自ら命を絶つだろう。もしくは壊れて狂うだろう。どちらにせよ約束を破った俺を呪うだろう。  会話が聞こえているのなら、カスミは一度受け入れた死を、もう一度受け入れる準備をしているに違いない。  俺に殺されるなら本望だ。素敵な死に際だとでも馬鹿な事を考えているんだ。カスミは優しい人だから。  覚悟を決めよう。  深く深呼吸するカスミに手を伸ばす。ゆっくり、ゆっくり。 「カスミ」 「カ……イト」  全身の筋肉を小刻みに揺らすカスミの顔に触れる。肌に塗られた生乾きの血の触感は最悪だ。  複眼が感情を感じさせない視線を這わせ、震える手が俺の腕に触れた。 「カスミ」 「カイト」  最後の気力を込めたような、語尾が半分消え掛けた声。カスミの声じゃないみたいだ。  半分蜘蛛と化した顔にいつもの笑顔は無い。呼吸音だけがする口腔から、大型肉食獣の牙が伸びる。人間の体など簡単に貫く鋭利な牙。  カスミは蜘蛛だ。人を喰らう化け物だ。彼女は人しか喰えず、人を食べないと生きてはいけない。  生まれたその瞬間から人の天敵で、悪魔で、怪物で、化け物だ。  その事実は変えようがない。  カスミの存在を肯定する理由が見当たらない。  最初の公園で、別れ際に俺はカスミを殺そうとした。本能に任せて殺そうとした。  それが正解だったんだ。今も俺を喰おうとするカスミに、明確な殺意が沸く。  こいつは殺さなければいけない。今ここで、殺さなくてはいけないんだ。 「カスミ」  もうカスミは言葉を返さなかった。  俺は続ける。 「俺を食べろ」 「な! 何を言ってるの! 殺しなさい! そいつは化け物なのよ!」  煩い外野の声はすぐに聞こえなくなった。  口では喋れない代わりに、赤く変色して蜘蛛の目となり始めたカスミの目が訴える。何を言ってるの? と。
/100ページ

最初のコメントを投稿しよう!