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「…んーっ!!……はぁ……はぁ……んーっ!!……」
あなたは僕の腕を、痣になるほど握り締めて、いきんでいる。
「はい、力抜いてー」
束の間の和らぎに、荒い息のあなたを抱き締め、口移しで水を飲ませ、背中を擦る。
もう何度繰り返しただろう。
朦朧とした目に、それでも強い意志を宿して、あなたはまた、立ち向かう。
「はい深呼吸ー、……いきむ!」
「んーっ!!……はぁ……はぁ……んーっ!!……」
「はい、力抜いてー」
「……やだ。もうヤダー!!
センセのバカー!!アホー!ヘンタイ!!エロ教師ー!!」
看護師さん達が笑っている。
僕の腕の中で、真っ赤に上気した顔でゼイゼイ言いながらも毒づくあなたの、背を撫で、汗を拭ってやりながら、さすがに決まりの悪い僕は、あなたに声をかける。
「もう少しですよ!園城寺さん!」
「……園城寺じゃないもん!安岡だもん!!」
「え…」
「センセのバカ!ニブちん、スットコドッコイ!!
大っ嫌い!!……いっ!たた……」
「あはは……はいその元気、赤ちゃんに分けてあげますよー、深呼吸してー……いきむ!」
「んあー!!……はぁ……はぁ……センセ……」
「声出さない!深呼吸ー、……いきむ!」
「んーっ!!……はぁ……はぁ……んーっ!!……」
「……陽子……。
陽子しっかり!
陽子、もうちょっとです!」
僕はあなたの名前を叫んでいた。
陽平君と同じ呼び方をするのが嫌で、ずっと教師時代のまま、名字で呼び続けていたのに。
彼とは違う『僕』をあなたに感じて欲しいと、どこかで思っていた大人げない僕の、最後の抵抗だったのに。
「頭見えて来ましたよー、深呼吸してー、もうひと踏ん張り、いきむ!」
「んーっ!!……」
「陽子……陽子、………」
牧師の家に生まれて、毎日聖書の一節を聞いて育ちながら僕は、
一度も神を信じたことなどなかった。
神に真摯に祈ったことなどなかった。
でもこの時僕は、心から祈っていた。
出産教室で得た自分の知識など、所詮机上の空論だ。
大いなる自然の営みの中に神が存在するというのならば、
僕に出来ることは、今はもう、祈ることだけだった。
『どうか無事に……!』
「……ほぎゃー……」
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