お父さんの独り言

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あなたを愛しいと初めて自覚したあの夏の日、 突然のプロポーズであなたを縛りつけて以来、 僕は心の奥ではずっと、不安を捨て切れなかった。 あなたは平静さを取り戻したら、遠からず僕を拒絶するだろうと。 陽平君が死んで二週間目の8月1日、あなたの16歳の誕生日に、僕が婚姻届に署名を求めた時も、 本当は、不安だった。 勿論、拒絶されたところで簡単に引き下がるつもりなどなかったけれど。 「何でアタシと結婚しようなんて思ったの?」 あなたの問いに、僕は正直に『愛しているから』と答えた。 あなたは怪訝な顔をしたけれど、でもまっすぐに僕を見て、確かめるように言った。 「センセ、ホントに、本気で、マジなの? ……じゃあ名前、……ここに書けばいい?」 余りにもあっさりとあなたが署名するから、僕は逆にもっと不安になった。 『本当にいいのですか?』 思わずそう聞いてしまいそうになり、慌ててその言葉を飲み込んだ。 それを口にすれば、手に入りかけたあなたを、寸前で失うかもしれない。 そんな危険は冒せない。 僕はあなたを、何が何でも手に入れると決めたのだから。 そうして僕は二学期を待たずに学校を辞め、あなたは休学して、二人での暮らしが始まった。 でも、あの時飲み込んだ言葉は、それからずっと僕の中で燻り続けた。 ふとした瞬間にまた小さな炎となって表れては、僕の不安をチリチリと焦がした。 この七ヶ月間、その不安を振り払うように、僕はあなたとお腹の子供を、心から慈しんだ。 次第にせり出すあなたのお腹と、愛しげにお腹に語りかけるあなたの傍らで過ごす日々は、 父親となる幸せな覚悟を、僕にくれた。 僕はあなたと子供のために、出来ることは全てしたかったし、そうすることが楽しくて堪らなかった。 陽平君の仲間たちも、頻繁に我が家を訪れては、あなたとお腹の子供の世話を焼き、僕の心配までしてくれる。 いつの間にか我が家は溜まり場になって、 あなたの言葉遣いもすっかり悪くなってしまった。 それでも、僕に当面の仕事を紹介してくれたことや、あなたが僕の留守中淋しく過ごさずに済むことには、感謝していたし、 あなたが、僕には見せない弾けるような笑顔で彼らと喋る姿は、 僕を安心させた。 ……いや僕は、見守ることで安心しようとしていた。 そうやって圧し殺そうとしていた不安は、 ……ある雪の夜に、一気に燃え上がった。
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