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拳を握りしめる。いつものバス停に止まり、彼女がゆっくりと、加藤駿が座る座席に近づく。
トントン、トントン。
トントン、トントン。
音は近づく。まるで美しい曲を奏でるように、その単発な音は、加藤駿の頭に心酔していく。
小さく深呼吸をしたとき、ついに彼女がすれ違って行った。
「あっ」
続かぬ声を発し、駆け出そうとした瞬間、前の座席からひとつの影が飛び出した。
同じ学生だが、どうやら他校の男子生徒らしい。
「大丈夫ですか?」
男は、彼女の肩に手を回し、出口まで彼女を送り届けた。
加藤駿はその光景を、バスの真ん中で、何もない空間に手を伸ばしながら、固まって見ていた。
今日こそは、この手が彼女に届く筈だった。
今日こそは、この声が、この気持ちが、彼女に届く筈だった。
プシューと、虚しい音をたてながら、バスのドアは閉まった。
そのドアから、先ほどの男が席に戻り、面白くなさそうに呟いた。
「チッお礼もなしかよ」
そう、今日も加藤駿は、彼女の声を聞いていない。
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