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『一番ホームに電車が参ります。白線の内側まで…』
ドキドキバクバク。目を瞑って深呼吸した。背中を冷たい汗が伝う。今日は大丈夫。大丈夫……。
ホームに滑り込む電車。ドアが開くまであと数秒。きょろ、と視線だけを動かせば周りにいるのはスーツ姿のサラリーマンや学生が殆ど。朝の通勤ラッシュ。この時間が一日のうちで一番の憂鬱だ。
開いたドアからパラパラ人が降りてきて、ほぼ雪崩れ込むようにして乗車する人数のが明らかに多い。ぎゅうぎゅうに押されて、それでもなんとかドア付近を確保した。ここなら、きっと大丈夫。
気持ち悪くなるぐらい充満する香水の匂いも忘れてしまうほど、神経を張り巡らしていた。背後にいるのは俺よりも少しだけ背の低い学生。よし。
『発車致します…』
ガコン。と一瞬大きく揺れたあと、徐々に加速していく。ふ、とそれまで張っていた肩の力を抜いた。目的地の駅まで三つ。それまでに大きく人が入れ替わらなければ、大丈夫。
流れていく景色を無表情に見つめながら、時折背後にも気をやる。もうすぐ一つ目の駅。プシューッと音がして反対側のドアが開いた。途端、息苦しさが少し和らぐ。またすぐに窮屈になるけど。
自然を装って、ちら、と振り返る。俯いてイヤホンで聴覚を遮っている学生は、中学生だと思っていたが驚いたことに、俺と同じ制服を着ていた。ネクタイの色を見ると同年代。嘘だろ。
気付いたらじろじろ見すぎていたらしい。ふ、と顔を上げた学生とパチリと目が合った。ビー玉みたいな瞳。思わず見とれそうになってしまうのを、慌てて逸らす。
(やべぇ。俺完全に変な人だよ今)
でも、どこかで見たような顔だな。二つ目の駅に向かって走っているややざわついた車内で、思考を右斜め上に巡らせる。記憶の片隅を探っているところで、目の前のドアが開いた。
あと一つ。あと一つ。祈るように拳を握った。
一番初めは見た目四十代後半のサラリーマンだった。その時の恐怖は今でも鮮明に思い出す。
ただただ怖かった。ぎゅうぎゅうに押される車内で見知らぬ手に後ろをまさぐられ。嘘だろ、と相手を確認するとにたりと気持ちの悪い笑みを浮かべられた。
助けて、なんて言えなかった。男が、男に。相手もそれを知ってか、行為が徐々にエスカレートしていく。吐き気がした。
駅に着いた途端、電車を飛び出し公衆トイレで泣いた。
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