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店の裏口からガレージに降り立った皇甫は、ヒュウ、と口笛を吹いた。アルコールランプを脇の棚に置き、黒光りするそれに誘い込まれるように歩み寄る。
「驚いた。配水所だとばかり思っていたが、まさか博物館だったとはな」
「バーだ!」
暗がりの中で眠っている鉄塊に手を置いた。立体映像か写真でしか見たことのないそれは、ぺたりと手のひらに吸いつき、みるみる体温を奪っていく。
「美しいだろう。一九八九年製の自動車だ」
「動くのか」
「まあ、やってみろ。運転方法は崩壊直前のものとほとんど変わらないはずだ」
と、皇甫の胸にキーを押し付ける。
が、すかさず押し付け返された。
「できない」と皇甫。
「は?」
「より正確にいえば、自動車を運転したことがない」
「はあ? ふざけてる場合か。運転したことがないとか崩壊後に生まれた赤ん坊かお前は」
「ふざけていない。事実として運転したことがない。運転する機会に恵まれなかった」
「機会に恵まれなかったってどんな生活送ってたんだよ」
「そういう訳で、トムが運転してくれ」
「無理だ。この年式は手だけじゃ運転できない。コースケとかいう変わり者に撃ち抜かれた脚も使う」
トムは五体満足の皇甫にキーを押し付ける。
「一九八九年はまだ運転に免許が必要だったはずだ。免許が必要ということは、運転に危険が伴い、特殊な技術を有するということだ。残念ながら、俺はその免許を持っていない」
と、皇甫がトムにキーを押し付け返す。
「俺なんか免許が必要な時代に生まれてもねえ」
と、キーは皇甫へ渡り、
「奇遇だな。俺もだ」
と、トムに戻ったキーが、宙に浮いた。
「うだうだうだうだうるさい男どもね!」
アニーだ。キーを取り上げたアニーは、言うやいなや運転席に乗り込んだ。
「つべこべ言わずやってみりゃいいでしょうが!」
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