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下卑た笑い声とすすり泣くような女の嬌声が聞こえてきて、皇甫は確信する。そこだ。場末の酒場へ稀にやってくるような、とびっきりの下衆だけをかき集めて煮詰め、どろっどろにした液体の雰囲気がある。間違いない。
その煤けたコンクリートの躯体に、窓ガラス改め壁もどきは存在していなかった。壁もどきはなく、窓枠ごと取り外されたままなのは、用心棒がいるからだろう。
ぽっかり空いた窓穴の中は薄暗く、酒の匂いと汗くさい体臭が漂ってくる。匂いは問題ない。そのうち鼻が慣れる。匂いがのぼってくる窓穴から遠慮のかけらもない視線を浴びせてくるが、それも問題ないだろう。
皇甫は、半年前まではドアがあったであろう穴から酒場の中へ立ち入った。
連中は例外なく、なんだこいつ、という顔で皇甫を見上げる。フードから覗く引き締まった口元にくぎ付けになっていた。あごの細さだけでいえば、女に見えなくもない。だが、上背もあるし、肩幅も広い。男だ。
そんな視線を肩で受け流し、皇甫は酒場からアジトに認識を改めた。カウンターに向かう。
カウンターには筋骨隆々の黒人男性が鎮座していた。肩一面にパンテラのタトゥーが彫られている。タトゥーは自分の力を誇示したいからだろうと推測が立つが、上半身裸の理由はわからない。ふてぶてしい面構えと何か関係があるのだろうか。
「水を」
皇甫はバッグからアルミの水筒を取り出し、蓋を取って、静かにカウンターに置いた。
「なんだお前」
「水をくれないか」
「見ない顔だ。どこから流れてきた」
上半身裸は透視のおまじないなのだろうか。フードを目深にかぶっているのに、このタトゥー男には顔が見えるらしい。
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