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身を竦めるような寒さも峠を越えた。
梅の蕾は随分と膨らんできている。
じきに春も訪れるだろう。
──元治元(1864)年、京。
ほぅ、と恍惚とした表情で、町行く人々は一人の“異端な”少女に釘付けになっていた。
町人達の視線に気付いていないのか。
少女は足取り軽やかに町を疾走する。
上質な絹を思わせる滑らかな肌、果実のように瑞々しいぷっくらとした唇、形の良い鼻、華奢な体躯……。
容姿の秀麗さもさることながら町人達が少女に釘付けだったのには他に理由があった。
薄茶色の長く柔らかそうな髪、長い睫毛に縁取られたくりくりとした褐色の瞳──着物に身を包んでこそいるが少女はまさに異人のような容姿をしていたのだ。
元治元年と言えば、ペリー来航後、十年ほど経った頃。
まだ着物姿の人々が町を歩いていた時代だ。
開国したとは言えど、普通の町人達は異人というものを見慣れてはいない。
故に、彼らの反応は当然と言えば当然だった。
もっとも少女は生粋の日本人で髪や瞳の色は生まれつき色素が薄いことによるものだったが……。
少女は町人達の注目を大いに浴びながら、やがて蕎麦屋の前でぴたりと足を止めると暖簾をくぐった。
「お姉さん、お蕎麦ひとつ!」
ここからこの物語は始まる──。
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