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いくらなんでも迂闊過ぎる、軽率だ、不用心だ、相手はあの身空木楓なんだぞ。
だけどそんな叱責は全て遅すぎたのだ。
僕の口より先に鈴村さんは手を伸ばしてしまった。
真実を盾とし、身空木へと立ち向かうこともなく、身空木が垂らした嘘へと、自ら手を伸ばしてしまった。いや、なによりもその必要があったということ、つまり彼女は真実を持ち合わせていないという事になってしまう。
鈴村さんは、この映像を否定できる確固たる証拠を心にすら持ち合わせていない。
それでも深く暗い池の底へと墜ちるのが嫌で、身空木の嘘に縋ってしまった。
だけどあの嘘吐きが、身空木がなんの理由も無く慈悲の糸を垂らすはずがない。
分けもなく、意味もなく、なんの意図もなく、あの身空木が人を救い出すわけがない。
ならば、この嘘は一体なんのためだ?
再び、疑問が僕の口より出る前に、身空木の瞳が水面へと僅かに沈んだ自らの糸を察知して、すぐさま口を開いた。
「そう、あれは鈴村君のドッペルゲンガー……“だから大変なのだよ”」
「掛かった」と隣にいる僕だけが聞こえる程度の小声で呟き、身空木が口端を再び僅かに持ち上げた。その微笑みに、鈴村さんが喉を引き攣らせるような音がした。
やはり、救いの糸なんて物じゃなかったのだと、自らの直感に確信を得た。
これは救いを餌にした、酷く悪趣味な釣り針と糸だ。
恐らくは自らを守るため、その理屈を徹すため、整合性を保つために救いを掴んだ鈴村さん。その姿を見つめながら、身空木はゆっくりと引き上げにかかった。
「鈴村君、ドッペルゲンガーが君の姿で現れたことは、実はとても大変なことなのだよ。……もう一度訪ねるが、君、本当に大丈夫なのかね?」
餌へと食いついた獲物を決して逃がさないように、この嘘がバレないように、バレないようにと慎重に糸(ウソ)を手繰り寄せる身空木へ、
「……どういう、ことよ?」
藻掻くこともできないまま、鈴村さんが訪ね返した。
それでは身空木の思うつぼだ、次の言葉を引き出してしまうだけだ。
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