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取引自体には損しかないが、その取引を断ることによってさらなる実害が発生する場合、その発生する害を回避するために小さな損を承諾する。そういう理由。
つまりは大きな被害を回避するために小さな損失を支払う、ということだ。
字面だけ見れば間違った選択はしていない。後でいじめられる事を回避するために、ガキ大将の掃除当番を代わってやる。損はしているが、損失を最小限に抑えた上手な生き方だろう。
上の例はあくまで例で、人徳的にそんな理不尽を容認する気はさらさら無いが、それはそれ。損失を回避できなかったなりに最小限に抑える力を持っているという意味では評価もできるし、納得できる。
じゃあなぜここまで読者の時間と労力を消費させるような無駄な事をしているかというと、この最終的な疑問を述べるためである。
つまり言いたいことはここからなので、これより前の文章は一切意味がない。読むならここからがオススメである。
ではここまで読んでしまった方に、最後の疑問をぶつけよう。
仲のよい知人から「お願い」をされたとき、この時に「頼む側」と「頼まれる側」が発生する理由が分からないのだ。
他人の雇用や依頼ではない。ガキ大将からの命令でもないから、害が発生する訳もない。
害もなく、義務もなく、報酬さえない。
そんなとき、「頼まれる側」が生まれるという状況が分からないのだ。
ただ厄介事を押し付けられるだけの事を、誰が引き受けると言うのだろうか。
そして、それを引き受ける側は、一体何を考えているのだろうか。
頼られる、ということが皆無だったからこそ、子供の頃にはしなかった思考。
記憶に新しい、最近の長考。
答えはまだ出ていない。
出ていないからこそ、未だ考え、探しているのだ。
いつも「頼られる側」の、この人の側で。
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