W-WOLF 第三十八話 宮廷恋歌

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 シオの病気を知っているのは、毎回診察してくれるエターの医者だけだ。  ヒステリックな声は、聞いただけでその猿顔が思い浮かぶほど特徴的だ。  ミルも顔見知りなのに「誰か分からない」なんて、よくまぁうそぶいてくれる。  エターの医者を庇っているとしか思えない。 「先生……やってくれたね」  シオは酒の匂いがこもる口の中で舌打ちすると、怒る代わりに大きな溜め息をついてビールを口に含んだ。  皇帝との約束を破らないでファーの金狼に訴えるとは、智慧の回る猿だ。  灯りの中に浮かぶミルの丸顔が、カウンターに同席するサラとヤンを見た。  そしてまたシオに向き直って言葉を紡ぎ始める。 「僕、ファーに帰ってから父さんに相談したんだ。病名を告げたら真っ青になって、一刻を争うからすぐファーに連れてこいって言われた。だからシオ、今すぐ行こう」  コトッ。  ビールの入ったカップをカウンターに置き、三人に注目されながらシオは軽やかに口の端を持ち上げた。 「大袈裟だなぁ。大したことないよ」 「シオ!」  途端に、シオの痩せた肩がミルの両手に掴まれて激しく揺さぶられた。 「父さんが動揺するくらいだ。ファーでも治すのが大変な病気なんだよ。中央病院の受け入れ体勢はもう整ってるんだから、早く行って治そうよ」  噛みつかんばかりの勢いで、ミルが至近距離から捲し立ててくる。 「うるさいなぁ」  シオは椅子から立ち上がり、ミルの手を肩から振り払った。  笑顔から一転、眉根にしわを寄せて小柄なミルを上から睨みつける。  びくっと身体を震わせたミルは、ぴたりとしゃべることをやめた。  サラが銀髪を揺らして椅子から腰を浮かしている。  愛するミルに何かあったら素早く行動を起こすためだろう。  物騒なことに、腰のホルダーに指を引っかけて、いつでもパルスレーザー銃を抜く体勢になっている。  怖い護衛だ。 「気持ちは有り難い。でも今の俺は、名実共に帝国のトップなんだ。この情勢ではどこにも行けないね」  静寂の訪れたビール工房の空間で、シオは激情を抑えながら静かに本音を語った。 「でも」 「ちゃんと聞きなよ!」  拳を握ってミルの言葉を遮ってしまうのは、酒が入って感情の制御に時間がかかっているせいだ。
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