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躊躇していたのは確かだった。 誰もが避けたがっていた。
それは心の中に漠然と広がる不安のように居所は掴めず、しかし確実に私の、私たちの心に巣くっていたのだ。
長い間──そう、卒業式を終えてグラウンドに立ったあの時。三年間親しんだ校舎を仰ぎ見たあの瞬間から、私はそれを嫌悪していたように思う。
砂埃の舞うグラウンド。
口元に笑みを、目に涙を浮かべてはしゃぎあう同級生の女子生徒たちを見やりながら、私は校舎をじっと見つめていた。
威厳に満ちた牢獄を。
不思議なことに、時間が経つにつれ嫌悪は薄まっていた。
進学をし、短大を出て、広告やらデザインを手がける小さな会社に事務として就職し、パソコンのキーボードを叩きながら窓を見つめ、あの不自由の中にあった限りなく美しい自由を思い浮かべては、生臭い現実へと引き戻されるということを日々繰り返していた。
そしてその度に、窓の前に中津が立つ。背の高いスマートなシルエットが、邪魔をする。
根拠のない自信を持ったデザイナーのナルシストなデザインを見せつけられ、素晴らしいわね、と大仰に褒める。中津は満足げに笑う。
自由はあるが美しさのかけらもない現実。
それが私の毎日。
ぬるい現実に埋もれるうちに、私の中の嫌悪は着実に薄れ、衝動に変わっていった。
それは静かに上流から下流へと流れる水のように、ずっと昔から私の中に自然な流れを作っていたのだ。私は川を下る。否応なしに、流されていく。ふと見上げて気づくのだ。
上流の水が澄んでいるように、私の過去も眩しいくらいに澄んでいることを。
私の過去は、キラキラと惜しげもなく輝いていた。
誰かの船に乗り、誰かに上流へと連れていってほしかった。
あの手紙が来たのはそんな時だった。
『藤嶋香澄様
清女会を開きます。
西森志津香』
桜色の便箋には、達筆な文字が踊っていた。
静かな、しかし確固たる信念が窺える美しい文字。たった一行の招待状。
私に船を出したのは、
志津香だった。
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