はじめに

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著作権法が改正されて間も無く3週間が経過しようとしている。これは紛れも無くネットユーザー達の敗北を意味する。何故ならそれは一億総容疑者時代の到来を告げるからだ。これはインターネットが普及した結果を踏まえて、そう称している。つまり、ネットが国民生活の一部となった今、誰もが容疑者とされかれない状況に置かれているのだ。これは著作権法改正によって、違法ダウンロードに対して刑事罰を課すことが可能になったからに他ならない。 僕が想定していた日常生活の崩壊は無かったが、何か危ない予感しかしないのである。 僕がこの案件を知ったのは6月半ばのことだった。僕は自分の無知に対して罪悪感を覚えた。何故ならば、知る時期が遅い程僕たちは対策が取れなくなるからだ。 自分は本当に情けなく思った。嘘だと信じたい。そう思った時、僕はある条例を想起した。そう、あの東京都の青少年健全育成条例である。あの時もまた僕は危惧していた。日常が終わるのではないかと。しかしあれの場合は何も無かったかのように施行の日を迎えた。僕も規制が強化されたと言う実感がない。それでも更なる規制の動きが水面下で進行していると思うが。 それはさておき、先の件は2次元規制のものだった。だが今度は著作権に関わるものだ。2次元規制の話題を通じて僕は価値観の多様性を受容することが重要だと言う考えに至ったが、この法案もやはり価値観統制を謀っている、そう思わざるを得ない。創作活動の萎縮、市場の衰退、冤罪の劇的増加を引き起こし、ある種の考え信じることを強要しようとしていると考えられるからだ。それは単なる妄想ではない。これからそのような僕の不安の正体を説明することで証明していこうと思う。 しかも、今回はかなり深刻な事態だ。都の青少年健全育成条例改正は2次元規制の話だったから「所詮はオタクの問題だろ?」と片付けることが可能だったかもしれない。しかし、今回ばかりはそうはいかない。ダウンロードを行って音楽や動画などのコンテンツの恩恵に与る者は決して少数ではないだろう。ネットに全く関わっていない(使っていない)なら話は違ってくるが、この文章を読んでいる以上無縁ではない。嫌でも関心を持たざるをえないのだ。さっきも言ったが、これは誰もが容疑者と言う名の烙印を押されるリスクに晒されているからである。
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