序章

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 100年にも渡る戦乱の世が続いていた。  この男の鬼謀が、豊臣秀吉を天下人に押し上げた。  小寺官兵衛孝高(ヨシタカ)は、西暦1546年、姫路にて誕生した。  後に入道して黒田如水(ジョスイ)と名乗る。  22歳の時に主小寺政職の養女光を妻に迎え、同時に家督を継ぎ家老となっていた。  頭の回転が良く義を重んじ、律儀であった為、政職から強い信頼を得ていた。  西暦1575年播州御着城において、会議が開かれる。  城主小寺政職は、 「毛利より使者が遣わされた。  人質を出すようにとのことであった。  皆も知るように、近頃尾張の織田氏の勢力が増している。  今後のことを考え、小寺家がとるべき道を決めるのに皆の意見を聞かせてほしい」と切り出す。  今までは何とか東西の勢力の間で、独立を保ってきたが、毛利から決断を迫られる事態となっていた。  まず筆頭家老の小河三河守が主張する。 「織田氏は毛利氏に比べてまだまだ弱小勢力です。  毛利氏に着くことが小寺家にとって最良の道でしょう。  皆も同じ意見であるはず」 と同意を求めて重臣を見回す。  会議は、満場一致で、終了するかに思われた...。
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